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「仏涅槃図」をみて

  1.  「日本国宝展」印象記
  2.  高野山詣で
  3.  参考図書

 

 

「仏涅槃図」をみて


東京国立博物館 平成館

(2014年秋)

「日本国宝展」印象記

秋のとある休日、上野のお山へ「日本国宝展」を見に出かけてきました。幾つかのイベントがあって道は大変混雑しています。東京国立博物館の切符売り場では直ぐにチケットを購入でき、内心ホットしました。しかし会場の平成館へ行きますと長蛇の列ができており、1時間弱並んで漸く入場できました。ウイークデイには仕事があるので止むを得ないところです..。

 

会場は大変な人混みで、日本人の美術愛好者(と思いますが)の多さに感激。自国文化を守り育てていくには、それに関心を持つ人が多くないと心もとないですものね。ただし、人波に流されながらのウオッチも多く、腰を据えて見入ることが出来ないところも確かにありました。

 

仏足石、玉虫厨子で始まり...縄文、弥生、古墳、飛鳥、奈良、...貴重な遺産が目白押しです。平安時代に移ると装飾品や絵画などは精巧で優美なものが多くなりますね。立派な道具がなかった時代に作られた見事な作品を見ていると、その制作には底知れない努力があったのでしょうね。国宝ですから総てが一級品の優れものです。感想を述べるのも畏れ多いような気もしますが、その中から金剛峯寺の「仏涅槃図」についての印象をちょっと...。

 

大変大きい(267x271)絹本着色の絵画です。この絵の前にはあまり人だかりができていなかったので比較的ユックリ観察できましたし、対象が大きいのでガラス越しとはいえ描かれたものも良く見えました。先ず色が鮮明で画面の状態が良いのにビックリします(京都国立博物館において3年かけて昭和53年に修復が完成したということを後で知りました)。


仏の周囲の人物像を見ていると、どこかで見たような...浮世絵...片岡球子画伯の面構...。日本の伝統は近代まで脈々と受け継がれているのですね。西洋ではダヴィンチの「モナリザ」のように写実細密描写に向かったとすると、日本では大陸からの影響を受けつつ、古から線描写、象徴的、デザイン的な方向へ向かったのでしょうか...。

 

1000年も前の初期日本画とでもいいたいような作品群が見事に修復保存されていることに感嘆し、こうして日本で実物を見ることが出来ることに感謝したいような気持になりました。自国の文化遺産を守ることが如何に大変かつ貴重なことか、世界各地の状況を見ていると容易に想像されますね。文部科学省、宮内庁の存在意義は大きいのですね。そんなことを改めて考えさせられた一日でした。

 仏涅槃図 金剛峯寺 (平安時代 1086年)

 

図録の解説では日本に現存する最古にして最高の仏涅槃図ということです。テーマが重いぶん描かれる内容は壮大になりますから、絵師としては腕の見せ所でもあるのでしょうね。細かいところはガラス越しには良く見えませんでしたが、図録の拡大図を見ると線の美しさが際立っています。作者は知りようもないのでしょうが...心を込めて描いた、その込めた思いがひしひしと伝わります...1000年経っても...。

高野山詣で

仏涅槃図を見て以来、いつか金剛峯寺に詣でてみたいと思っておりました。そして4年目の2018年5月のウィークデイに、念願叶って高野山参拝を実現できました。高野山は弘法大師により816年に開かれました。1200年の歴史はずっしり重いです...。

 

南海電鉄なんば駅から橋本駅まで50分ほど電車に乗り、南海高野線に乗り換えて更に50分の所要時間で極楽橋駅に向いました。乗り換えのホームには少数の日本人と多数の外国人が電車を待っており、フランス語、ドイツ語、英語、中国語などが入り乱れて何とも不思議な印象を受けました。ウィークデイということもあるのでしょうね...。

 

上古沢を過ぎるあたりから山間部に入り、左手は山、右手には深い谷底が見えます。右手の急斜面には真っ直ぐ伸びた樹高の高い木々が生い茂り、これまで見たことのない美しい林に思わず身を乗り出して車窓から眺めておりました。実際、この景色を見ただけで高野山に来たかいがあったわ、と私は感激に浸っておりました。

 

極楽橋で電車を降り、数分歩いてケーブル線に乗り換えます。車内に入ると、周りは殆どが異国からの旅行客でした。終点の高野山駅からバスに乗り、林間を抜けると壇上伽藍に到着です。昼時をやや過ぎておりました。ガイドブックに載っているごま豆腐で有名なお店に入ってメニューを見ていると、運良く角濱ごま豆腐胎蔵懐石の最後の一品が残っておりました。粘り気のある円やかな舌触り、そしてホンノリと甘い極上の味わいです。ごま豆腐ってこんなに美味しいの?! .....食べ物には滅多に感激しない私も感激感激。また高野山に行く機会があれば、間違いなくこのお店に直行すると思います。

 

お食事を済ませてから壇上伽藍、ついで霊宝館を見学。壇上伽藍には修学旅行の生徒さんが大勢来ておりました。敷地が広いのが救いですね...喧騒から逃れたいほうの私にもザワザワした気配はさほど気になりませんでした。霊宝館では運慶・快慶の木彫、仏涅槃図(愛知芸術大学模写本)などを鑑賞致しました。国宝や重要文化財が多く、寺院の格式が自ずと現れますね。

 

駆け足ですが、その後で金剛峯寺に向いました。ここでは予め計画に入れておいたイベントへの参加が目的です。初めに広い石庭(蟠龍庭)に建つ阿字観道場で阿字観を体験し、次いで高野山大師教会授戒堂で授戒を受けました。私は殆ど宗教と無縁の生活を送っておりますから、これらの体験は何の抵抗もなく受けられましたし、実生活にも十分役立つ内容を包含した楽しい体験でした。

 

阿字観での呼吸を整える技術は一朝一夕に会得はできないでしょう。それでも継続することによって少しでも技を高めることは可能かもしれません。参加者には若者も多く、彼らの求めている何かがあるのでしょうね。一方、授戒への私以外の参加者は、白装束の四国から来られたお遍路さん一行でした。私のミーハー度が現れているようで、ちょっぴり違和感を感じました...。暗闇の中で阿闍梨様が南無大師遍照金剛、同行二人などの意味を解説されたように思います。

 

翌日は奥之院へ向かいました。音声ガイドを頼りに、一の橋から老杉のそびえる参道をゆっくり進みます。杉木立の合間から日光が差し込み、静寂で清々しい空気に満たされた広大な空間は、墓所という重苦しさが全くありません。私の目には、まだ行ったことはありませんが、写真で見た熊野古道のイメージと重なって見えました。さて、参道脇には名だたる戦国武将のお墓(秀吉は立派な墓所ですが、信長は貧相で可愛そうです...)、近代日本の有力者のお墓、あれー法然も...2㎞の道のりは全く退屈しません。時折行きかう人は異国からの訪問者が多く、彼らをも引き寄せる絶大な魅力があるように思いました。

 

御廟橋(ごびょうばし)のたもとに到着したときに、丁度タイミングよく10時半の生身供(しょうじんぐ)を大勢の見学者と一緒に見学することが出来ました。御廟橋を渡る前に、御供所(ごくしょ)の隣の頌徳殿(しょうとくでん)で無料のお茶を頂いておりました。すると隅に座っておられました御坊様がすくっと立ち上がって演台につかれ、法話を始められました(予定時刻よりも10分ほど早かったようです...)。聞いておりますと薀蓄に富んだ名説法でした。

 「父母の しきりに恋ひし 雉子の声 (芭蕉)」

 「裏をみせ 表をみせて 散るもみじ (良寛)」

この句の仏教的な解釈を分かりやすくお話しされ、大変興味深くお聞き致しました(詳細は略)。これまでに葬儀等で法話を聞く機会がたくさんありましたが、その内容にさほど感心したことは正直ありませんでした。高野山での説法ですから、学識・見識の高い御坊様なのでしょうね(後で井村正身 圓満寺名誉住職・高野山本山布教師と知りました)。この説法を聞いたことも、今回の高野山詣ででの大きな収穫の1つになりました。

 

説法をお聞きした後で、水向地蔵に水を手向け、御廟へと向いました。御廟橋から先は脱帽、写真撮影禁止、です...私の拙いお話はやめておきましょう。

 

高野山は魅力いっぱいですよー。宿坊には質素(?)な精進料理のみで、フレンチもイタリアンも中華もありませんが、外国の人たちには魅力的な観光地になっているように感じました。ヨーロッパのキリスト教教会には、観光地になっているところがたくさんありますものね。トレビの泉ではありませんが、何時か機会に恵まれましたら、また来れますように...そんな思いで私は山を下りました。

参考図書

辻 惟雄 監修:日本美術史 株式会社美術出版社 2011年2月10日 増補新装 第9版

東京国立博物館・読売新聞社・NHK・NHKプロモーション 編集:

              日本国宝展 2014年10月15日発行