<コンテンツ>
加山又造の多彩な世界
1. 「冬」の印象
2. 参考図書
心の詩、横山 操
1. 清澄な空気を写す
2. 「素描集 横山操」について
3. 参考図書
加山又造画伯の画業をまとまった形で鑑賞したのは、2009年に国立新美術館で開催された「加山又造展」でした。当時の記憶はかなり薄れていますが、代表作の「冬」を見たときの衝撃は忘れません。画家のカミソリのような鋭い感性、切れ味、が画面を通してひしひしと伝わってきて、今まで経験したことがない感動を味わいました。
「冬」には痩せこけた狼に不気味なカラスと鳥の群れが、広大な冬山の景色の中に描かれています。左手の枯木は幹も枝も細く天を目指して直線的に描かれ、リズム感のある配置を感じさせます。一方、右手の山々の峰も鋭的な輪郭で表現され、この構成は相当の時間をかけて考え出されたものと思われます。
画家が他人の作品の批評をするには、大変な勇気が必要だと想像いたします。加山画伯の著作を読むと、琳派の絵や水墨画など、自分が影響を受けた作品について誠実な感想を記載しておられます。こんなに自分の考えをさらけ出してもいいの?、画家としての根源のようなものを教えてもいいの?、と心配になるくらい正直に書いておられるのです。
画伯の全集を見ると画題はとても多彩ですから、総てを一流のレベルに引き上げるには並大抵の努力ではなかったでしょう。動物あり、人物あり、花あり、雪山あり、琳派風屏風絵あり、水墨画あり...。どの絵を見ても太線・細線・極細に至るまで運筆は冴えわたり、隅から隅まで神経が行き届いています。銅版画のミクロの世界も好きであったということですから、基本的には細密描写向きの性格なのかもしれませんね。ミクロの仕事がきちんとできる人はマクロの仕事もできると思います、逆は必ずしもそうはならないでしょうが...。
日本画においても、初めは模写やコピー・パクリに近い状況から出発し、大勢が認めるオリジナルな世界へ到達できた少数の人だけが後の世まで生き残れる厳しい世界なのでしょう。戦後の日本画のアイデンティティーを追い求めて生きてきた、気迫のこもった画伯の人生に心が打たれます。
弦田平八郎 編集 20世紀日本の美術 10 加山又造/横山 操 株式会社集英社
1986年9月24日 第1刷
加山又造 著 加山又造全集 第一巻~第四巻 株式会社学習研究社 1989年12月1日~
1990年6月1日 第一刷
加山又造 著 白い画布 私の履歴書 日本経済新聞社 1992年12月17日 一版一刷
加山又造 著 無限の空間 株式会社小学館 1994年9月20日 初版第一刷
尾崎正明 監修 加山又造展 日本経済新聞社 2009年
横山 操画伯は富士山の絵で有名ですが、日本画の革新を目指して加山又造画伯らと切磋琢磨した日々もよく知られています。横山画伯の文章は分かりにくい所も多く、決して読みやすいものではありません。その点、加山画伯の書かれた本を読むと、二人の出会いから多摩美大で教鞭をとりながら制作に打ち込んだ日々まで丁寧に記述されており、当時の生活状況をかなり克明に知ることが出来ます。
横山 操画伯の生い立ちは波乱万丈であり、画家になるまでに受けた教育、戦後のシベリア抑留体験、青龍社での軋轢など、エリートコースとはいえない苦難の道を歩んできたといえるでしょう。初期の作品には、そうした苦節の影響が見受けられるように思われます。40歳頃からの絵には生活の安定や心身の充実を反映した作品が多く、画伯の澄んだ心の詩が表現されているように思います。また、京都画壇と東京美術学校の両方の技法を習得した加山又造画伯から受けた影響も大きいように思います。
加山又造画伯の絵には、初期から美しい線描や緻密な計算された画面構成が見られ、豊富な知識と技術の高さが推測されます。一方、横山画伯の初期の絵は太い線描が主体で、エネルギーがほとばしっている感じがいたします。“横山さんは、水平と垂直の安定感を極めてバランスよく持っている...その感覚を、実に伸びのある線で、自由自在に構築しながら大画面を楽々と作り上げ...大きな筆の運動量と、柔軟性がありながら、硬質で正確な描線は、動力感に満ちて、他の画家にはみられない非常に勝れた横山操独自のもの...戦後日本画の快作「炎炎桜島」にて青龍賞を受け..."、と加山画伯は寸評しています。
「炎炎桜島」を初めて見たとき、部分的には書きなぐったようにしか見えないものが、遠くから見ると全体として実に魅力的な絵になっている(失礼)、と感じました。素人の私の興味は、この彩色と構成の隅から隅までが初めから計算されて作り出されたものかどうかという点でした...上手く表現できませんが...。ともかく、加山画伯と横山画伯とは、お互いが自分にない優れた特性を持っていると相手の力量を認め、尊敬しあっていたと思われます。
加山画伯との出会いは横山37歳・加山30歳の時で、横山画伯の多摩美大での学生指導開始は横山45歳・加山38歳の時からです。こうした過程を通して横山画伯の絵には徐々に繊細な描写が見られるようになり、それが画風を一変させています。「雪原」や「越路十景 蒲原落雁」には加山画伯の影響が色濃く感じられます。元々の素養もあったのでしょうが、技術力の向上が表現力を一気に押し上げて行ったように感じます。
横山 操画伯の絵の特徴の一つと思われるのは、使用する色が極めて限定されていることのように思われます。
有名な「赤富士」や「暁富士」では、空の色を極薄く描き、富士山や雲や道や木々を赤~茶の暖色系の色と黒・金とで描いています。画集では空が青く見えるのですが、何点か実物を拝見してみると青が入っているのかどうかよく見ないと分からないくらいでした。寒色の色調が前面に出ないように苦心した結果でしょうか。また富士の山肌も微妙な色の組み合わせと油絵風の大胆な凹凸とが加わって、変化にとんだ表情が描出されています。金色の木立は梢の先まで繊細に丁寧に描かれており、画伯の実直な性格が表れているように感じました。
一方、「冬富士」や「峠の道」では寒色系の色が主体となり、黒・茶・金が加わっています。色の組み合わせに横山画伯の美意識が表れているのでしょうし、それが品の良さを醸し出しているように感じます。代表作の「越後十景」や「瀟湘八景」での描写は、限られた色使いで描き上げるという素地が活かされているのでしょう。
横山画伯の代表作の一つである赤富士について、加山画伯は「あるときは明るく、ある時は悲しく、観る者の心に何かくい込んでくる横山操の赤、あの赤には、やはり横山操の重く、つらく悲しく優しい、重量に満ちた人生観がある....共感を呼ぶ宿命的な色があるように思われてならない」と述べておられます。
一流の日本画家の作品を集めた某展覧会で横山画伯の風景画を見て、心が洗われるような清々しい気持ちにさせられた経験があります。こういう絵を“画品がある”というのでしょうね。単に私の趣向と波長が合う、ということかもしれませんが....。画伯の人となりは加山画伯の著作に詳細に記述されていますが、絵から受けた印象は“澄んだ心の持ち主に違いない”というものでした。53歳で亡くなられましたが、もう少し存命であったらどのような世界を展開してくれたのか、と返す返すも残念でなりません。
この素描集には加山又造画伯の序文が添えられています。その簡潔で分かりやすい文章の行間には、畏友横山 操画伯への惜別の思いが滲んでいます。
外箱の表には画伯41歳時の素描「川」が、裏には同じく41歳の「イースト・リヴァー」が載せられています。「川」は故郷の田園風景でしょう...東京でのエネルギッシュな日常、シベリアでの抑留、どこにいても幼子の脳裏に焼きついた風景は消えることはないのでしょうね...細部を省略した描写から、そのような思いに至りました。
内容ですが、主に30代後半から40代の素描で構成され、16編の画文が添えられています。この画文には横山画伯の心情が率直に記載されており、作品を鑑賞する際に大いに参考になると思います。たとえばデッサンに対する私見、技術を尊重する思考、水墨画へ向かう決意、「荒っぽい絵」から「細かい仕事」へ移行した過程、など興味深く読みました。
「外国へ行くと、よく、なんとか富士と呼ばれる山を見掛ける。日本人の足跡が及ぶかぎり、南米にもあれば、南洋にもある。僕らがシベリヤに抑留されていたときも、富士は氷原のあちこちで誕生したものだ....それ程富士は日本人にとって、心の故郷であり、望郷のシンボルでもあるのだ。」...画文の一節を引用いたしました。
横山画伯の描く富士については、下記参考図書に多くの記述があります。富士の絵であることは、日本人には見た瞬間に分かります。ところで画伯の暁富士に金色で描かれた裸木は、素描集の「信濃川」河畔に立つ木立に似ているような.....よく知られた”横山の赤”が故郷の夕焼けを表しているとすると、画伯の富士が何となくわかるような気もいたします。
田中 穣 著 炎の画家横山操 株式会社講談社 1976年10月20日 第一刷
横山 操 著 画集 横山 操 株式会社集英社 1977年3月25日 発行
波多野公介 編集 アサヒグラフ別冊 '78夏 美術特集 横山 操 中村正義 朝日新聞社
1978年7月15日 発行
横山 操 著 素描集 横山操 株式会社講談社 1980年8月25日 発行
弦田平八郎 編集 20世紀日本の美術 10 加山又造/横山 操 株式会社集英社
1986年9月24日 第1刷発行
横山 操 著 横山操画文集 人生の風景 株式会社新潮社 1986年11月20日 発行
横山 操 児島 薫 著 現代の日本画 [10] 横山 操 株式会社学習研究社
1991年7月1日 第1刷発行 2001年7月17日 第6刷発行
村瀬雅夫 著 横山操 株式会社芸術新聞社 1992年10月20日 初版第一刷
河北倫明 監修 週刊アーティスト・ジャパン第39号 横山 操 株式会社同朋舎出版
1992年11月17日 発行
三重県立美術館 朝日新聞社 編集 横山 操展 三重県立美術館 朝日新聞社 1993年
尾崎正明 都紫千重子 大谷省吾 横山秀樹 編集 横山操展 毎日新聞社 1999年