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平山郁夫とシルクロード

 ・「月華厳島」「大原の春 三千院」

 ・「豁然開朗(かつぜんかいろう)」

 ・「木の間の釈迦堂 比叡山延暦寺」

 ・ 平山郁夫シルクロード美術館へ

 ・ しまなみ海道と平山郁夫美術館

 ・ 和歌浦から熊野路へ

 ・ 平山郁夫スケッチ撰集

 ・ 参考図書

 

 

平山郁夫とシルクロード

「月華厳島」「大原の春 三千院」

何時のことでしたか記憶が定かではありませんが、あるデパートでの展示会で平山郁夫画伯の「月華厳島」を見る機会がありました。群青に染まった静かな神社の佇まい、海面に揺らめく微かな光....生きている、波が生きている....。ゾクッとするような瞬間でした。照明の効果もあったのかもしれません....。本当の海面のようにみえる、すごい写実性だ...というのではないのです。もっと厳かなものを見たような感覚だったのでしょうね。

 

いつか中島千波画伯の講演会でお話をお聞きした時に、「たとえば桜を描いても、ただ“桜”ではなく、それ以上でなければならない」、というような趣旨の発言をされました。素晴らしい絵というのは、そういうものなのでしょうね。

 

そういう出会いから、平山画伯の絵に関心を持つようになりました。同じような感覚を再度経験したのは、佐川美術館所蔵平山郁夫展で「大原の春 三千院」を見たときでした。緑色の世界....小さな寺社殿と手入れの行き届いた植え込み、大きな木が数本、背後に林、静けさ.....何とも言えない気品ある静寂が支配しているのです。痺れました......。この時は薬師寺玄奘三蔵院大唐西域壁画も展示されていたのですが、展示されている絵を一通り回ってから、再度また「大原の春 三千院」を見に戻りました。

 

本当に残念なことですが、年齢を重ねると心の底から感動するという機会が徐々に少なくなっているような気がします。色々なものを見たり聞いたりしたために、ちょっとやそっとでは驚かなくなったのか、単に自身の感受性が低下したためなのかわかりません....。ともかく、このような得難い体験ができたのは大変幸運なことでした。出会い、ですね。

厳島神社

 

「月華厳島」が描かれたスポットに立ちたくて、遥々厳島神社を訪ねました。穏やかな天候の下、国際色豊かな沢山の観光客に交じっての見学。

 

干潮の時間帯でしたから、一方のシンボルである大鳥居へも歩いて行ける状況でしたが、私は履物の関係で神社の見学がメインになりました。

 

鮮やかな朱色の柱や梁は、月明かりの下では黒っぽく見えるのでしょうね。一方、白は月光の薄明かりでも強い色なのですね。九十九折の陰影に富んだ構築美、朱と白の色彩コーディネイト......設計者の心憎い演出に感嘆させられます。

 

平清盛も歩いたのでしょうね...この回廊を...。そんなことを考えながら、あっちに寄り道し、こっちで休憩しながら、ぷらぷら、ぶらぶらと散策。幾組みもの団体客が通り過ぎていきます...さすがユネスコ世界文化遺産ですね。急き立てられるような日常の喧騒から離れて、“ユックリした” 時の流れに身を置くことの心地よさ...。新鮮な空気を吸いながら、充実した時間を過ごすことができました。

「豁然開朗(かつぜんかいろう)」

「豁然開朗」は、ホテルオークラ神戸のロビーに飾られている平山画伯の絵の画題です。難しい言葉ですが、中国の陶淵明の「桃花源記」からの引用で、広々と開けているさまを指すようです。あることをきっかけに見通しがぱっと開けること、という説明もあるようですね。

 

この絵は、金色のバックに松林と海が描かれています。松林は長谷川等伯はじめ多数の画家が描いていますよね。しかし、この絵を見たとき直ぐに思い浮かんだのは、尾形光琳の杜若図屏風でした。画材は違いますが、ほぼ松の木だけといってもよい絵です。使用する色をバランスに配慮しながら最小限に抑えつつ、松の木の形、配置、リズムを徹底的に工夫して見せている....。

 

そんなことを頭の中で考えながら絵をじっくり観察していると、あっという間に時間が経ってしまいました。実際魅力的な絵をロビーに飾っているホテルは、現在では少数派かもしれません。管理が大変なのでしょうね。

「木の間の釈迦堂 比叡山延暦寺」

某日、職場の同僚と一緒に平山画伯の展覧会に行ってまいりました。そこにこの大作の絵が展示されておりました。私は遥か昔に汗をかきかき山道を登って延暦寺を訪れたことがありました。あーっ、あの日は午後の日差しが強くて暑かった...確かにあの時見た景色だわねー、と懐かしさがこみ上げてきました。その時ふと隣の同僚が「祈りが聞こえますね」と感動した面持ちで呟きました....。

 

やられた!...私は同僚に軽い嫉妬を覚えました。懐かしさしか感じなかった自分よりも祈りを感じ取った同僚の方が感性が鋭い....そう思えたのです。それと同時に平山画伯の画集で拝見したお顔やスケッチするお姿が思いだされました...祈りながら描かれたのかしら...。

 

同じ絵を見て、そこから感じる思いは人それぞれです。「そうね」と相槌を打ちましたが、私が感じた懐かしさもそれはそれでよいのではないかしら...。少し強がりの気持ちも入ってしまいました...。

 

http://www.sagawa-artmuseum.or.jp

平山郁夫シルクロード美術館へ

いつか行ってみたいと思っていた八ヶ岳山麓にある平山郁夫シルクロード美術館を訪問してきました。ナビを頼りに車で現地へ。現代文明の利器のお蔭で、迷うことなく到着しました。

 

入って直ぐに画伯の収集された仏像が展示されています。それぞれが大変貴重なものなのでしょうね。私の興味はもっぱら絵画ですので、そそくさと次の展示室へ。本画、素描が展示されていましたが、さすがに本画の大作の迫力はすごい!しかし、実は私は画伯の素描も好きなのです。すっきりした線と配色、本画とは全く違う表現法で描いていますよね.....素描の方が適している題材も確かにあるように思われます。

 

画伯の書かれた本には「東洋画、日本画の世界では、絵の品格=画品ということを非常に重んじます。それは“絵は人なり”と考えるからです」「絵に品があるかないかは、一本の線を見ればわかります」という記述があります。画伯の素描を見ていると、その言葉がわかるような気がするのは私だけではないはずです。

 

ところで、平山画伯がライフワークにされたシルクロードについて、私は行ったことがありませんので実感が湧きにくい....。砂漠とラクダ、デパートの展示即売会では何度となく見てきた画伯の定番ですが、それがシルクロードの代表的な景色だとは思えません。それよりも、スケッチ撰集にある景色の方が見ていてずっと楽しめますよ。険しい山あり、急峻な谷あり、果てしない砂漠あり、朽ち果てた遺跡、オアシスや村、そこで出会った人も色々....。

 

画伯が砂漠でスケッチをしている写真が本に掲載されていますが、決して快適な場所ばかりではないのでしょうね。体力のある時にしか行けないような過酷な環境のところもあったでしょう。表現力もさることながら、スケッチに込められた画伯の思いが伝わります。何時か私もシルクロードを旅してみたい、そんな気持ちにさせられます。

しまなみ海道と平山郁夫美術館

かねてより憧れていた道後温泉・松山城への旅を実現しました。せっかくのチャンスですから、しまなみ海道を渡って大三島の大山祇(ずみ)神社と生口島の平山郁夫美術館へ寄り道するスケジュールをたてました。

大三島の大山祇神社へは、松山市駅から2時間バスに揺られて行きました。樹齢2600年の楠(写真)、多くの国宝・重要文化財を展示している宝物館などを見学しました。


刀剣・鎧兜には、これまでさほど興味が湧きませんでしたが、国宝の大太刀などは流石に見事なものでした。

大山祇神社から島内バスで大三島BSへ移動。大三島BS(写真)からは「しまなみライナー」に乗って10分程で生口島の瀬戸田BSへ着きました。

 

バスの便が悪く、電話でタクシーを呼び、10分程で平山郁夫美術館へ到着。

平山郁夫美術館

 

尾道市瀬戸田町に建てられた美術館には画伯の幼少年期の作品、画家としての記念碑的な作品である「仏教伝来」などが展示されており、平山芸術の原点が感じられる所でした。

入って直ぐの壁に大作「仏教伝来」が掛けられ、その下の一対の素晴らしい唐三彩の動物の置物が見学者を迎えてくれます。

 

第一展示室には幼少年期~青年期の作品、第二展示室には「しまなみ海道」シリーズ、第三展示室には仏教~シルクロードの作品が展示されておりました。

栴檀は双葉より芳し、とはよくいったものです。15歳の平山少年が描いた武者絵は、師匠である前田青邨画伯の武者絵を彷彿とさせる見事な出来栄えです。こうした才能が大きく開花したのは、自身の並々ならぬ努力は勿論ですが、環境、加えて運も多少あるのでしょうね。

 

瀬戸内海の美しい島々を見ていると、平山画伯の美意識の原点が郷土にあることが推測されます。ところで、「私のように瀬戸内で生れ育った者は、“光”を自然に描き出します」、と画伯は述べています。美術専攻の方にはピンとくる表現なのでしょうか...。理系の私には直ぐには理解できない文脈です。

 

生口島のように気候が温暖で風光明媚な環境で育った人は、光や色彩に対して反応する神経回路がより発達している、同じ景色を見ても色や光の表情・グラデーションなどがよく見える.....そういった意味合いなのでしょうか。私は「同じ景色を見れば全員同じに見えている」と思い込んでいましたが、その考えは間違っているのかもしれませんね。味覚に敏感な人、鈍感な人がいるように...。

 

平山画伯の「流水無間断(奥入瀬渓流)」を平山郁夫シルクロード美術館で見たときの感慨が思い浮かびました。当時の率直な感想は、私が渓流を見たときの印象よりも随分明るく色彩豊かなように思われ、違う景色のようにさえ感じました。その時は“絵にすると、こうなるのかな”と何となく思っていましたが、画伯と私の眼では見え方が違っていたのかもしれませんね。

 

幼少期に身体、脳裏に刷り込まれた光や色彩への感受性のようなものが画家の個性を決定する大きな要素になっているのでしょうか...。


 

 

しまなみ海道を走るバスの車窓から...

     絵になる景色の連続です

和歌浦から熊野路へ

(左) 「本宮 熊野路」 (中) 「熊野古道」 (右) 「熊野路 那智の瀧」

平山画伯の奥様のご両親が和歌山県出身ということで、画伯も幾度となく和歌山を訪問されました。高野山へは20代半ばから度々立ち寄られたようですが、熊野方面は交通が不便なため、40代後半になって初めて訪れたと記載されております。1990~1991年に出版されました平山郁夫全集全7巻の第1巻「日本の山河」には「熊野路・古道」「熊野路・那智の瀧」が最初に掲載されておりますので、画伯の思い入れの深さが伺われます。

 

「熊野古道」は2004年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。そこで私も意を決して熊野古道を歩いてみることに致しました。和歌山県を訪れるのは初めての事なので、折角ですから和歌山市の観光も組み入れました。初日は大阪から和歌山市へ電車で移動です。

 

和歌山市には徳川御三家の一つ紀州徳川家の居城である和歌山城があります。ここから見学することに致しましょう。実をいうと私はお城見学が好きとはいえないかもしれません。色々なお城を見て回ってはいるのですが、城内よりは城外に出て銘菓とお抹茶を頂きながら一息つくときの方が印象に残るのですね。

 

和歌山城は戦災で焼失したようですが、お城は立派に復元されておりました。城内はとても広くてお庭も立派です。特に印象にのこったのは、石畳や石垣に使用されている紀州特産の「青石(緑泥片岩)」でした。見た目がとても綺麗で、他のお城とは一味違った雰囲気を醸し出しています。

上の写真は御橋廊下から和歌山城の天守を見上げた景色です。和歌山県では車窓の風景で印象的なのは森が深いことでした。木々の生育が良いのですね。日差しが強くて雨も多いのでしょうか...。

 

右は城内の石畳に使用されている「青石」を写したものです。初めて見る私には大変インパクトがありましたし、他のお城との違いを実感致しました。お城の中の様子よりも記憶に残っております。

和歌山市の郊外には名高い和歌浦がありますので、ここも観光しておきましょう。時間節約もありチャーターした車で回ることに致します。先ず初めに紀州東照宮へ行ってみました。

 

紀州東照宮は徳川家康と紀州藩初代藩主で家康の十男である徳川頼宣を祀っているところです。良く整備された108段の階段(写真)を休み休み上りました。日頃の運動不足をひしひしと実感致します。重要文化財である本殿には左甚五郎の彫刻も見られます。日光東照宮のミニチュア版という印象です。

 

丁度巫女さんが拝殿に新しい塩、米、酒、水をお供えするところでした。毎日毎日新しいものをお供えするのですね。ご苦労様です。

続いてお隣の和歌浦天満宮へ行きました。大宰府天満宮、北野天満宮とともに日本三菅廟の一つで、学問の神様である藤原道真を祀ることから受験生には人気が高いようです。ここの階段は東照宮よりも足場が悪いので慎重に上りました。

 

和歌浦天満宮の楼門から見える景色(写真)はとても有名で、古くは万葉集にも歌われているのですね。聖武天皇が行幸の折にお供をした宮廷歌人、山部赤人が「若の浦に潮満ち来れば潟をなみ(片男波)葦辺をさして鶴(たづ)鳴き渡る」と詠んで以来、和歌の聖地になっているようです。

 

鳥居、御手洗池、片男波の砂嘴、長峰の山並、和歌浦の海、紀三井寺、県立医大....400年の歴史とともに見える景色は変わるでしょうが、名勝としての地位は揺るぎないことでしょう。

和歌山市から汽車とバスを乗り継いで、いよいよ熊野古道に足を踏み入れます。今回はガイドブックに載っていた発心門王子から本宮大社までの中辺路(なかへち)を歩くことに致しました。新宮駅前発、本宮大社前行のバスに乗り、本宮大社前でバスを乗り換えて発心門王子に到着致しました。

 

日頃の行いが幸いしたと思いたくなるほど、歩くにはもってこいのお天気に恵まれました。初めは舗装路で足元は良かったのですが、徐々に古道の古道たる所以を体感することになります。岩が目立つところは少し歩きにくい感じです。木の根っこがはびこっているところもありました。石段もありました。木々は比較的揃った大きさで、巨木・大木はないようにみえました(写真)。

 

古(いにしえ)の熊野詣では祈りの気持ちを抱きつつ歩いたのでしょうが、私の場合は「ただ黙々と歩いた」というのが正直なところです。後で思うと一途に歩きに専念していたようですから、座禅道場にいたようなものかもしれません。

 

今回はウォーキングシューズで歩きましたが、トレッキングシューズでも全然おかしくありません。特に雨上がりだとトレッキングシューズの方が良いと思います。

古道の終点は本宮大社です。本宮大社にはお社が4棟ありました。元々は12棟あったようですが、水害で8棟が流され、残った4棟を現在の高台に移築したという説明をお聞きしました。

 

熊野三山は神仏習合のお社で、本宮大社は阿弥陀如来、那智大社は千手観音、速玉大社は薬師如来を本地仏としてお祀りしているようです。本宮大社は速玉大社・那智大社と違って朱色のない古風な印象のお社ですが、格式はかえって高そうに見えます(写真)。

速玉大社・那智大社は紀伊勝浦駅前発の観光バスで回りました。ガイドは音声案内のみでしたが特に不満はありません。初めに既に見学した本宮大社に行き、その後速玉大社、那智大社の順に見学します。各場所とも時間が短くてユックリ見て回ることはできません...もう少しゆとりのあるスケジュールだと嬉しいのですが...。

 

那智大社への途中で大門坂に短時間停車いたしました。平山画伯の絵にも描かれていますね。石畳と杉の巨木が見事で、人がとても小っちゃく見えます(写真)。

 

大門坂を通って那智大社に至るルートは観光客に人気があるようです。今回は出来ませんでしたが、いつか歩いてみたいものですね。

那智の滝は画材として古くより描かれております。根津美術館収蔵の国宝「那智瀧図」は鎌倉時代の作品です。近代に至っては横山大観、奥村土牛、平山郁夫、後藤純男はじめ多数の画家がこの滝を描いております。人を惹きつける力があるのですね。「しかし何といっても圧巻は那智の滝の景観である....那智の原生林に包まれた山の中で滝の姿は神の姿である」と平山画伯は記述されました。

 

私が訪れた時間帯も老若男女多数の観光客で賑わっておりました。大木に囲まれた石畳の階段を暫く降りると滝が現れます。那智の滝は落差133mで落差としては日本一、熊野観光の白眉ともいえるところです(写真)。記念撮影のための人だかりも十分頷けますね。

 

拝観料を払って一段上の展望台に行きました。当然ですが近くで見る方が迫力はありますよ。折角ですからスマホで動画も撮影しておきました。

那智の滝を見学してから、最後に467段の長い長~い石段を幾度も汗を拭きながら登って那智大社・青岸渡寺を見学致しました。

 

平山画伯の滝の絵には青岸渡寺の三重塔を入れた境内から見た構図があります(写真)。那智の滝は近くで見てよし、遠方からの眺めも良し.....名瀑ですものね。「青岸渡寺の三重塔が自然の中で人工美を添え、朱の色彩が際立って見える」と画伯は述べております。

 

帰りに石段の途中にあるお土産店で那智黒のペン立て(高さ12cmの「一輪挿し」)を買って、ささやかな旅行の記念に致しました。部屋の机の上に置いておりますが、品が良く実用的で結構気に入っております。

平山郁夫スケッチ撰集

平山郁夫画伯のスケッチ技法については、下の参考図書に挙げたように1冊の本としても出版されており定評がありますね。このスケッチ撰集は時間つぶしに神田の本屋街を散策しているときに、たまたま本棚に展示されているのを見つけて購入しました。ほとんど新品同様でとてもラッキーでした。

 

第一集「仏教伝来・玄奘三蔵の道」は玄奘三蔵の歩んだ旅路を取材した中から制作された約100点、第二集「シルクロード・東西交流の道」はイタリアから中国までを取材した中から制作された約100点、第三集「我が心の旅路・日本」は日本を描いた約90点が掲載されています。約4000点のスケッチから選りすぐった290点ということです。

 

鉛筆による描写に色鉛筆で彩色したものが主体です。かなり時間をかけて描いたように見えるものから、短時間にさっと仕上げたものまでいろいろのようです。私が存じ上げている本画や素描の下絵になったものが幾つも載っていて、とても興味深く見ることができました。何れ劣らぬ魅力的な作品です。一番印象的なところは「描線に迷いがなく美しい」ところでしょうか。

 

画伯は学生時代の休日に「今日は100人の顔をデッサンしてくるぞ」と上野の街に出かけて、本当に100人を描き切らなければ下宿に帰らないように自分に課した、と述べておられます。そうした努力の積み重ねで獲得された画伯独特のデッサンの技術があるのでしょうね。また技術もさることながら描き手の性格が滲み出ている...そんな思いを強くしました。

参考図書

平山郁夫 著 平山郁夫全集 講談社 1990年11月~1991年11月

平山郁夫 平山郁夫シルクロード展 プレジデント社 1994年

平山郁夫 著 平山郁夫画集 熊野路を描く 普及版 中央公論社 1993年5月20日

平山郁夫 編 平山郁夫 全版画集 日本経済新聞社 1999年12月10日

平山郁夫 著 平山郁夫スケッチ撰集 日本放送出版協会 2001年6月25日

平山郁夫 村木 明 著

     新版 平山郁夫 私のスケッチ技法 実業之日本社 2007年10月30日

尾崎正明,鶴見かおり,中村麗子,永井明生,別府一道 編集

           平山郁夫 祈りの旅路 読売新聞東京本社 2007年 

石丸正運 平山美知子 佐川美術館所蔵 平山郁夫展ー大唐西域画への道ー

                       産経新聞社 2011年4月1日

平山郁夫 著 ぶれない 株式会社三笠書房 2011年4月20日第6刷

別冊太陽 平山郁夫 平凡社 2011年6月24日

平山郁夫 著 平山郁夫画文集 西から東にかけて 中央公論新社 2011年7月30日 8刷