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備前焼

  1.  備前市伊部(いんべ)を訪ねて
  2.  備前焼の歴史
  3.  食器と抹茶碗
  4.  参考図書

 

備前焼

備前市伊部(いんべ)を訪ねて

仕事の疲れを癒そうと思い、秋晴れの1日を備前市伊部(いんべ)探索にあてました。伊部は言わずと知れた備前焼の中心地ですね。私はこれまで備前焼を勉強する機会も見る機会もほとんどありませんでした。そこで勉強がてら気に入ったものがあれば購入したいと思って出かけました。遠路はるばる訪れるのですから、予備知識は大切ですね。あらかじめ観光協会からパンフレットを送っていただき、町の様子などをインプットしてから出発いたしました。

 

姫路で新幹線を降りて山陽本線に乗り換え、30分ほどで播州赤穂(ばんしゅうあこう)駅に到着いたしました。そこから赤穂線に乗り換えですが、事故の影響で大幅にダイヤが乱れ、ホームで随分待たされました。赤穂の土地柄でしょうか、皆さん不平を言うわけでもなく平静に待っておられました。電車に乗ってからは「山あいの景色が多いローカル線」といった印象でしたが、日生(ひなせ)駅付近で突然左手に瀬戸内海の美しい景色が現れインパクトがありました。35分ほどで伊部に着きました。

 

伊部は職業集団の氏族である忌部(いんべ)に由来します。伊部の周辺には忌部の人々が住んでいて、朝廷の祭祀や儀式に用いる祭具を作っていました。その技術が備前焼の発祥に繋がったと考えられており、忌部が地名となり、その後伊部に変わったようです。

 

平日の昼頃でしたが、降りたのは数人だけなので驚きました。「賑やかな観光地」を想像していたのですが.....週末や休日は違うのでしょうね。伊部駅は無人駅でした(下写真)。駅を出るときに切符を渡す人がいません(自動改札機も勿論ありません).....おおらかな土地柄なのですね。

 

最初に備前焼の大雑把なレパートリーを知るために、備前焼伝統産業会館へ行ってみました。2階のフロアーは作品展示室になっており、各窯ごとに割り当てられたスペースに作品がビッシリと並んでいます。日用雑器が多い印象ですが、細工物や茶道具類もあります。それとは別に抹茶碗を展示する棚もありました。備前焼の歴史を簡略に記述してあるボードがあって、後学のために写真に撮っておきました(下写真)。

それでは町に出てみましょう。駅前のメインストリートを北に向かって歩き始めました。人通りはまばらです。備前焼を展示販売しているお店が沢山あって、ちらほらお客さんも見かけました。私はショッピングの前に予め予定していた天保窯・北大窯跡・天津神社の見学に出かけましたが、マップを見ながら迷うことなく目的地に行けました。

 

天保窯は京焼の窯に倣った登り窯で、それまでの大窯に代わり1823年~1940年頃まで使用された小型で効率の良い「融通窯」と記述されています。室町時代からの大窯が焼成までに35日くらい必要だったのが、10数日で済んだということです。それにしても大変な作業だったのですね....。小型とはいっても、素人目には大きな窯にみえました(上写真)。付近には現在使用中の窯があって、燃料となる松割木(まつわりき)が沢山積んでありました(上写真)。

 

北大窯跡は山道を5分くらい上るとありました。本当に「跡」だけでした.....。結構急な山道を下ると(晴れていてよかった‼)直ぐに天津神社に到着します。備前焼の里の氏神様ということで、屋根瓦・狛犬・参道の敷石には備前焼が使用され、参道沿いの塀の陶板は窯元作家の奉納品でした(上写真)。

 

歩き疲れてバテバテになりながら、最後に町中をゆっくり散策いたしました。伊部は静かでこじんまりとした山里といった感じでしょうか。ウインドーに桃山時代の大甕を展示しているお店がありました(上写真)。歴史の重みは感じますね。

 

https://www.okayama-kanko.jp

http://bizen-kanko.com

備前焼の歴史

備前焼のルーツは、五世紀ころから渡来した朝鮮人陶工によって作られた須恵器だとされています。鎌倉時代に至って、伊部に移り住んだ須恵器の陶工たちにより初期の備前焼が焼成されました。この時代は山中の傾斜を利用して作られた1x10m程の穴窯で焼かれ、土は山土(やまつち)で、壺・甕(かめ)・擂鉢(すりばり)などの日用品が主体でした。

 

室町時代に入ると備前焼の生産が飛躍的に増えました。器種は壺・甕・擂鉢が主体でした。流通の関係から窯場は港に近い平場に移り、大量生産するために窯は長さ40m以上におよぶ大窯に変化しました(桃山時代に北・南・西大窯の三ヶ所に統合された)。土も田土(たつち)、別名ヒヨセが使われるようになりました。

 

大窯で焼くと窯詰めなどに色々工夫が必要になり、結果として胡麻・緋襷・棧切などの窯変が見られるようになりました。桃山時代に入ると茶人から花生・茶入・水差・建水などの注文品が依頼されるようになります。こうして茶道の詫び寂びの美意識と合致した備前焼は黄金時代を迎えました(いわゆる「桃山備前」)。

 

江戸時代になって茶人の美意識が「綺麗さび」へと変化し、また有田で磁器が焼成されるようになると、備前焼の需要は徐々に減少しました。そこで細かい技巧が施された彫塑的な置物・香炉・香合などの細工物に活路を求めました。大窯で焼くほどの需要はなくなり、より融通の利く4x16mの天保窯(融通窯)が築窯されたのですね。

 

明治以降は伊部の町もさびれ、煎茶器や土管が盛んに作られた時期もあったようです。これを復興したのは、1956年に備前焼では初の人間国宝に認定された金重陶陽先生でした。そして藤原 啓、山本 陶秀、藤原 雄、伊勢崎 淳の各先生が人間国宝に認定され、備前焼作家が400人を超える今日の隆盛に繋がりました。

食器と抹茶碗

備前焼伝統産業会館で感じたことは、夥しい展示作品の中からどうやって選べばよいの?という戸惑いでした。絵付け・釉薬こそありませんが、胡麻(ごま)・棧切り(さんぎり)・緋襷(ひだすき)・牡丹餅・青備前・伊部手と色々な種類の窯変・技法を作家の先生方が共通して使いこなしているわけです....。

 

とある備前焼専門店に入ってみました。陳列品を眺めていると、お店のご主人が寄ってきて色々解説して下さいました。ご主人曰く「値段はあってないようなもの、気に入ったものを買うのがいいと思うよ。一般的に名前が売れていると高いけど、有名でも(作るのが)下手な作家もいるしね。」....なるほどなるほど、色々な分野で似たような現象はありますものね。

 

また「一つの目安は日本工芸会正会員かどうかだね、正会員になるのはかなりハードルが高いからね。正会員かどうかで(値段は)一段違うね。」ともお話されました。素人の私にはとても貴重なお話で、その後のショッピングを進めるうえでの羅針盤を頂いたような感じでした。

 

話はがらりと変わりますが、長い歴史の中で淘汰され評価された備前焼の作品が岡山県立美術館で展示されていましたので、今回の遠征中にそれも鑑賞いたしました。また歴代の人間国宝の作品も同美術館で拝見できましたし、備前市立備前ミュージアムにも展示されておりました。

 

第二次大戦を境に美術品愛好者の嗜好が変わり、焼物は初期伊万里・備前・唐津が珍重されるようになったとの記載があります。北大路魯山人先生は戦後になって伊部の金重陶陽先生を訪問し、陶陽窯で初めて自作を500点も焼き上げました。針金で切り出した板状の土で皿・鉢を焼きましたが、板づくりの技法はそれまでの備前焼には全くなかったもので、その後の備前焼の作家に受け継がれているようです。その後備前の古窯を一つ買って鎌倉に運び、陶陽先生が采配を振るってそれを築き、金重先生や藤原先生達から送られた備前の山土・田土を使って二窯焼き上げました。しかし薪代と手間の関係で、今までの登窯で焼くに至りました。俎板鉢など鉢類、八寸皿など皿類、徳利・ぐい吞みなどの酒器が代表作で、花入・水差などの茶陶も有名ですが茶碗・建水は少ないようです。

 

以上のような経緯を経て、今回私は長皿と抹茶碗を購入いたしました。備前焼は炻器(せっき)で釉薬がありませんから、基本的には丈夫で長持ちする焼物だと思います。我家に新たに加わった備前も "気兼ねなく使える” というある意味安心感があり、それはそれは大活躍しているのですよー。

備前胡麻茶碗

        (口径13.0cm・高さ8.0cm・高台径5.0cm・重量404g)

輪形(りんなり)のお茶碗で、胴には全面に櫛目が細かく刻まれています。口縁は僅かな凹凸を持ち、高台は低くて小さめです。見込みの下方には轆轤目が少しみられ、茶だまりがクッキリ彫り込まれています。茶色~焦げ茶色の器肌に黄胡麻が降りかかって多彩な色調ですね。指で叩くと磁器のような音が響き、硬く焼き締められた器だと実感します。

 

備前緋襷茶碗

        (口径12.0cm・高さ8.5~8.8cm・高台径5.4cm・重量341g)

胡麻茶碗と同じく輪形のお茶碗ですが、軽くて手持ちが良いと感じます。器肌がとても綺麗で、模様を眺めているだけでも楽しめますね。白い地肌は艶消しで、緋襷のところは薄い赤色から濃い茶色まで色調に変化があり、濃色部分は光沢があるのですね。茶溜りには渦巻模様が丁寧に彫り込んであります。指で叩くと快い金属音が響くんですよ。

 

長皿

        (8.5x32.5cm・高さ1.3~2.0cm・重量476~486g)

凝った模様の皿で、天然木のような器肌に胡麻が降りかかり、胡麻のかからない牡丹餅のような半円形の中には緋襷のような朱色が見えます。当家では焼き魚をのせたり、刺身を盛りつけたりしておりますが、食材を美味しく感じさせる力があるようで大変重宝しております。

参考図書

・山陽新聞社 編:  備前焼 作家・窯元名鑑 山陽新聞社 2003年5月8日第1刷発行

・山本雄一 著:  備前焼の魅力と技法 伝統と創造 ふくろう出版 2005年6月15日初版発行

・上西節雄 監修:  備前焼ものたがり ㈱山陽新聞社 2012年11月26日発行

・唐澤昌弘, 花井久穂, 松﨑裕子, 市来真澄, 畑中秋良, マルテル坂本牧子, 福冨 幸,

      吉田南都子, 大西亜希 編: The 備前ー土と炎から生まれる造形美ー 

                                            NHKプラネット中部 2019年2月22日発行