<コンテンツ>

 

美濃焼

  1.  多治見にて
  2.  本町オリベストリート
  3.  元屋敷窯を訪ねて
  4.  志野あれこれ
  5.  参考図書

 

美濃焼

多治見にて

志野湯呑(安藤 工) ピンクの地肌に鉄絵が映える
志野湯呑(安藤 工) ピンクの地肌に鉄絵が映える

今回は名古屋から汽車にゆられて多治見へ遠征しました。目的は志野の抹茶碗を手に入れることです。何故志野かといいますと、その昔デパートで加藤孝造先生の作品展に出向いたときに、定評ある瀬戸黒も重厚で大変素晴らしかったのですが、志野の肌の麗しさに見とれてしまったことがそもそもの発端です。加藤先生の作品は高値の花ですから、地元に行けば満足いく志野をゲットできるのではないかという幼稚な思惑で勇んで旅立ったものです。

 

多治見周辺は陶芸の人間国宝を輩出している超有名な土地ですね。愛知から岐阜へ移るあたりで、周りの景色が一変しました。陶芸の里へ入ったという実感がふつふつ湧いてきます。事前に十分予習済みとはいえ、最初に駅前の観光案内所でお勧めの観光コースをご指南いただきました。年配のご婦人が手慣れた様子で「それなら、こことここを回りなさい」と地図にマークして下さいましたが、私の計画したものとほとんど一緒でした。

 

まず向かった先は山を一つ越えた市之倉地区。最初に「市之倉さかずき美術館」を見学。酒杯もさることながら、故荒川豊蔵先生を筆頭に地元の生んだ偉大な陶芸家(人間国宝)の作品が書や絵画と一緒に展示されており、イントロとして大いに参考になりました。

 

次いで歩いて数分のところにある故加藤卓男先生の「幸兵衛窯」にラスター彩を見に行きました。事務室の壁にはさりげなく片岡球子先生の版画がかけてあり、私の嗜好と相通じるものを感じました。光の当たり方で色調が変化する陶器(ラスター彩)を見たのは初めてのことでした。今回は志野の抹茶碗を求めての旅行ですから、わき道にそれないように注意注意...。次いで美術館のような別棟の建物を見学しました。ここで驚いたのは、出土した古い美濃陶の破片が、はるか遠方のペルシャの陶器の破片に瓜二つであるということを解説員から実際に見せていただいたことです。シルクロードの世界ですね。ここでは美濃焼の歴史の重さを肌で感じ、最近の黒織部や瀬戸黒などの作品も見学させて頂きました。

 

その後で市之倉オリベストリートをブラブラ散策しました。道の両脇に陶器を作る工場や販売店が並んでおり、内部を見学可能な工場もありました。残念ながら目当ての志野の茶碗は適当なものがありません。

 

たまたま入った人気のない倉庫のような広い織部の展示室を見学しているうちに、ペン立てと湯呑が気に入って、土産に購入しようと決めました。大声を出しても人が出てくる気配がありません。こういうシチュエーションになると、却って泥棒と間違われないかと私の方が不安になってしまいます。外に出てあたりを見渡すと、裏の方に陶器の原器を敷地一面に乾かしているお宅がありました。玄関までトコトコ出向き、「スイマセーン」と何度か必死に呼んでみると、ようやく奥から御婦人が出てこられました。良かったー!お昼時とはいえ何とものどかな土地柄...と妙な感心をして、一緒に歩いて展示場に戻ってから、先に決めておいた織部を購入しました。

本町オリベストリート

市之倉で美味しいウドンを食べてから、とある陶器ショップで時間をつぶしておりました。高名な陶芸家の作品が大変お手頃な価格で販売されています。加藤卓男先生の黒織部、鈴木 蔵先生の志野....。よくよく見ると若干訳あり的な物が多いように見受けられました。その中に素晴らしいピンク色の志野抹茶碗がありました。あの憧れの加藤孝造先生の志野茶碗...大変高額でしたが...の明るいピンク色にそっくりです。思わず加藤孝造先生の物かと思いましたが、作者は私が存じ上げない全く別の先生でした。お店の女性は親切にも、この作家の作品を展示している本町オリベストリートのショップを教えてくださいました。

 

そこで早速山を下って、そのショップへ行くことにしました。本町オリベストリートは煉瓦敷きの道路が凝っています。ありました、ありました。女店員が一人のこじんまりしたお店です。展示されている志野の抹茶碗は何れも温かいピンク色の肌で、鉄絵もきれいに入っています。まさに先ほど見た色合いです。幾つか見せていただいたものを慎重に吟味していると、たまたま作者の安藤 工先生がおいでになりました。GパンにTシャツ姿で、窯場からの帰りでしょうか....父君の黄瀬戸や志野の作品が一緒に展示されていることから推測しても、まだまだ陶芸の世界では若手の方でしょう。

 

お話を伺ったところ、加藤孝造先生にもご指導いただいたということです。私が抱いた第一印象が的外れではなかったことが、一時のうちに確認できました。後でネットの記事をみましたが、同様の記載がありました。しかし記事を見るのと作者自身からお聞きするのとでは、随分印象が違いますよね。志野はもともと長石釉の白色が基本だそうです。あの明るい桃色の陶肌はガス釜では出ない、薪を焚いて時間をかけて焼かないと出ないということを強調しておられました。ずいぶん手間がかかっているんですね...価格設定も納得...。志野茶碗は抱えたときに温かみがあっていいですよー。今回購入したものは特に色調が素晴らしい。優しい貴婦人のような...。

 

なかなか来れない土地なので、湯呑と中くらいの大きさのお皿も購入しました。駅への道すがら「良いものを手に入れた」と自己満足して、揚々と帰りの汽車に乗り込みました。抹茶碗、お皿はコンスタントに使用しておりますので、大いに活躍している、というところでしょうか。一方、湯呑は余りにも綺麗なので、バカラのグラスと一緒にキュリオケースに鎮座しております.......。

紅志野唐草文皿(仙太郎窯)22x3cm

 

白土の上に水・化粧土をはじく撥水剤で絵を描き(手書き)、ピンク色になる化粧土をかけてガス窯で50時間かけて焼き上げるとネットに記載されています。作家物(上の湯呑参照)は百草土を使う、穴窯で焼き上げる、土そのものがピンク色に発色する、など根本的に違っているようです。

 

このお皿は、大きさといい、色合いや重さ・デザイン性といい、全体としてとても良くできており(簡単にいえば「私好み」ということでしょうか)、日常使用の食器として大変重宝しております。最も作る側になってみると、食器の好みも十人十色でしょうから、どのようなものを作るか、特に量産品は難しいのでしょうね。

元屋敷窯を訪ねて

美濃桃山陶の窯跡をどうしても見たくなって、岐阜県土岐市の元屋敷陶器窯跡(国史跡)を訪ねてきました。多治見市のお隣なのですが、多治見を散策してから土岐に来るのにちょうど10年経過していました。桃山陶は美術館や展示会で幾度も鑑賞しているのですが、シッカリ勉強したことがなかったので「美濃焼入門」の気持ちでした。

 

水無月の雲一つない快晴の一日で、予報では気温が33度まで上昇するようです。暑い土地柄ですものね。土岐駅周辺にはヴィジターセンターはありません。駅前の地図では目的地は駅の裏側のようです。駅員さんにお聞きすると、駅から出て左へ曲がり、線路の下を抜けて反対側へ行く通路があるのですね。

 

パンフレットによると目的地まで徒歩10分です。強い日差しですが帽子と日焼け止めで大丈夫でしょう。スマホのナビを見ながら暫く歩くと行先の書かれた小さい看板を発見。観光客は少ないのでしょうか、観光地っぽくないですね...。

 

土岐市美濃陶磁歴史館を右手にみて更に進むと竹藪があり(図1)、いよいよ織部の里公園に到着です。道なりに進むと管理事務所がありました。中に入ると元屋敷窯から出土した陶片が解説付きで展示されております。「瀬戸黒と黄瀬戸」「志野」「織部」「織部以後」の順に展示されたものを見ると美濃陶の概略が大まかに理解できますよ。私の好きな志野の展示もあって早速写真写真(図8)。志野とか織部といっても多様なものがあるのですね...。

 

展示会などで見た桃山志野は鮮烈な色彩でしたが、展示されていた陶片はそれよりも全般に淡い色調のように思われました。地中に数百年も埋もれていたわけですから、製作当時の色調とは違って当然ですよね。

 

それでは元屋敷窯に行きましょう(図2)。門を入ると正面に元屋敷窯(連房式登窯)があり、左手は平地になっています(図3)。子供たちがデイキャンプに来ておりました。眼下にはあやめ園と菖蒲園が広がっています(図4、手前は東3号窯)。先ず連房式登窯を見学(図5)。加藤景延が唐津に出向いて製法を学び、美濃で初めて築かれた登窯です。幅2.2m、全長24m、燃焼室+焼成室14房の大規模な窯で、ここでは織部が量産されました。

 

天正年間前半に瀬戸の陶工加藤与三兵衛景光景延ら子息3人が織田信長の朱印状をもって久尻の地へ移り住み開窯しました。信長が美濃を治めた時期と重なります。土岐市泉町久尻(元屋敷窯の所在地)~可児市久々利を中心とする土岐川以北は木曽川を利用して関西へ物資を運ぶのに適しており(木曾川水運:図)、この地への陶工の移動は信長の産業誘致策だったと考えられています。景光・景延親子は美濃陶祖と位置付けられ、元屋敷窯は美濃陶祖の開いた窯であると強く意識されてきました。地主が盗掘から元屋敷窯を守り、その死後は美濃陶祖奉賛会が窯跡を守る手段を講じのも「陶祖の窯」であったことが大きいようです。

 

単室地上式の大窯は室町時代からある窯で、復元された元屋敷東2号窯(図6、天目茶碗・灰釉皿・擂スリ鉢に加え瀬戸黒・黄瀬戸・灰志野など焼成)、同じく復元された東1号窯(図7、主に天目茶碗・灰釉皿・擂スリ鉢を焼成)、前出の東3号窯(志野を量産)があります。製品を匣鉢(さや)に入れ(匣鉢詰め)、匣鉢を積み上げ(匣鉢積み)、窯に詰める(窯詰め)工程が良く分かります。

 

からっとした天候だったようで、階段の上り下りなどで結構歩きましたが幸い汗はあまりかきませんでした。元屋敷窯の見学がすんでから土岐市美濃陶磁歴史館へ行きました。元屋敷窯などで発掘された陶片・陶器や匣鉢(さや)・トチンなどの窯道具が多数展示されおり、重要文化財が目白押しです。こちらも大変勉強になりました。ショップも併設されております。書籍類は比較的多く、お土産は本2冊に致しました。

 

だいぶ歩いたのでお腹も空きました。帰りの道は日差しが強くて日陰を捜しながらユックリ駅前に戻りました。あれー、繁華街はないのでしょうか。食堂や陶磁販売店があるものと期待していたのですが.....地元の方に聞くしかありません、「すみませんー」......。

 

公益財団法人 土岐市文化振興事業団 編集:特別展「元屋敷窯発掘史ー美濃桃山陶の再発見と      

                   古窯跡発掘ブームの中でー」 2015年10月3日発行

公益財団法人 土岐市文化振興事業団 編集:特別展「お茶と美濃焼」 2017年9月15日発行

 

http://www.toki-bunka.or.jp

志野あれこれ

 

志野 花入(加藤孝造)

 

優しい桜色のトーン、器の形状と器肌の表情、鉄絵の入れ方などに加藤孝造先生の卓越した技が満ちています。「花入」となっていますが、床の間の置物としても十分の存在感があります。

 

羽衣や卯花墻といった桃山志野とは基本的な色調が全く違うように見えます。発色法がオリジナルなのでしょうか。

志野草文平向付三客(北大路魯山人)

 

志野は元々白い焼き物ということですが、下に赤・上に白と二重に釉薬を掛け、施釉に大胆な工夫を凝らして面白い器肌を作り出しています。鉄釉の草文も、簡素な模様に変化をつけるべく、白釉の下に書いたものと上に書いたものとが識別され、陰影に富んだ景色になりました。

 

食の大家である魯山人が懐石の器として考え出した作品です。さすがに雅趣に富んだものになっているワーと思いました。一方技巧を凝らしているという見方もあるかもしれません。

 

実を申しますと、私は今回魯山人の作品を初めてまじまじと拝見致しました。見て、手に触れて、そしてただならぬものを感じて...「この人は大した陶芸家だワ」と月並みな表現ですが感服したのです。

 

参考図書

成美堂出版編集部「やきものの事典」成美堂出版 2009年3月20日

矢部良明 著「日本のやきもの鑑定入門」株式会社東京美術 2010年8月20日初版第1刷

堀内宗心 黒田和哉 監修「茶碗の見方・求め方」株式会社世界文化社 

                           2008年9月20日初版第三刷

責任編集 楽 吉左衛門「茶道具の世界3 和物茶碗」株式会社淡交社

                             平成23年6月24日再販

誠文堂新光社 季刊 陶工房 No.71 2013年12月1日発行