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バッハのパルティータ
アリス 紗良 オット (Alice Sara Ott) ピアノリサイタル
アンドリュー・フォン・オーエン (Andrew von Oeyen) ピアノリサイタル
シューマンとfreedom
ユンディ・リ (Yundi Li) とタランテラ
第17回ショパン国際ピアノコンクール 入賞者ガラ・コンサート
アレクサンデル・ガジェヴ (Alexander GADJIEV) ピアノ・リサイタル
ジャン・チャクムル (Can Cakmur) ピアノ・リサイタル
バッハの音楽は休日の朝に聞くブランデンブルグ協奏曲や夜静かに聞くピアノ曲が多いのですが、時には無伴奏のチェロやバイオリンの曲が聞きたくなることもあります。テレビドラマやコマーシャルなどにも時々登場する有名な旋律がいろいろありますね。
ピアノ曲についてはグレン・グールドのCDを一通り揃えて聞いています。ゴールドベルク変奏曲、インヴェンションとシンフォニア、イギリス組曲、フランス組曲、平均律、パルティータ....。パルティータは最も好きな曲の一つで、色々なピアニストやチェンバロ奏者の弾いたCDを購入して聴きました。なかでもアルゲリッチの演奏は大変衝撃的でした。
アルゲリッチはショパン・コンクールで一等賞を獲得した、わが国でもお馴染みのピアニストですね。アルゲリッチの弾いたパルティータ第2番を聴いたときの衝撃が何年たった今でも忘れられません。ほとばしるエネルギー、躍動するリズム、聞き手をグイグイと”音の世界”へ引き込みます。バッハって、こんなロマンチックで魅力的な作曲家だったの?(褒め言葉です...念のために)....初めて聞いた時の率直な感想です。ネットでは私と同様に感銘された方が沢山いらっしゃいました。
バッハの曲には限らないのでしょうし、もちろん曲にもよるのでしょうが、聴き手の心のありようで様々に聞こえるものですね。楽しい時には快活に、打ちひしがれた時には本当に心に染み入るように響きます。いまさら、ですが、偉大な作曲家なのですね。
先日久しぶりにピアノリサイタルに行きました。演奏家については良く知らなかったのですが、聞きたい曲目がプログラムにあったので...。颯爽と登場したのは、若くて、美人で、衣装も何だかアイドル風。会場に若い男性の姿が多いのが一瞬のうちに納得されました。足元は...靴なしの素足です!
ベートーベンのテンペストから始まりました。出だしは一寸調子がでない感じでしたが、徐々に本来の姿が見えてきました。音はきれいですし、強音のタッチも力強くて濁らない。次の2曲がバッハで、私が聞きたかった曲です。休止を入れずに続けて弾かれました。幻想曲とフーガ、バッハ=ブゾーン シャコンヌ。両方ともかなりの技巧と集中力を要する曲でしたが、前者はあくまで整然と後者はむしろ劇的にとニュアンスを違えて、乱れることなく弾ききったという印象。聞いていて退屈しません。大変な技量です。ペダルの微妙な調整を素足でしているのですね。分かります分かります。私も仕事の分野は違いますが、ペダルを使うのは一緒です。私もペダルを操る方の足の靴は脱いでやっていますから...。単なるアイドルとは違う!ドイツグラモフォンと専属契約したというプログラムの記事が頷けました。
休憩を挟んで、後半はリストでした。愛の夢第2番第3番、パガニーニ大練習曲(超絶技巧練習曲)6曲。最後に持ってきた大曲が、現在の彼女のエネルギーをぶつける最も適した曲なのでしょう。弾き終わった後ブラボーの歓声もあがり、万雷の拍手が彼女への何よりの感謝の気持ちを表していたと思います。疲れている様子でしたが(超絶技巧練習曲の途中で一寸一息入れました)、アンコールも2曲(シューマン、ショパン)弾いてくれました。張本流なら間違いなく「あっぱれ」シールですね。
今夜の演奏会はリーゾナブルな入場料でしたが、初めから終わりまで十二分に楽しめ、大変得した気持ちになって帰りました。
1979年生まれで今年35歳になるアメリカの新進気鋭のピアニストAndrew von Oeyenのラヴェル(古風なメヌエット、鏡、亡き王女のためのパヴァーヌ)とショパン(ノクターン op.32-1、ソナタNo.3)を聞きました。コロンビア大学を卒業したあとジュリアード音楽院へ進んだという経歴から、技術一辺倒ではない理知的な演奏を期待しました。
ドアが開いて現れたのは、長身でやや細身の美男子でした。軽く会釈をして着席してから間髪を入れずに演奏開始....私にはあまり馴染みのない曲から始まりましたが、ポピュラーな「亡き王女のためのパヴァーヌ」は澄んだ音色で適度に抒情的に演奏されました。休憩をはさんで、後半のショパンのソナタNo.3が傑出した演奏だったように思います。
前半のラヴェルから音色がきれいで濁らない(籠らない)、左手右手のバランスが良い(両手のメロディーラインがクッキリ浮かび上がる)と感じていましたが、ショパンのソナタでは多彩なメロディーが左右の手から次々に浮かび上がって爽快でした。強音は十分に力強いのですが、剛ではなく、しなやかさが勝っていて耳障りにならない.....弱音も音色に細心の配慮をしつつ弾いている.....技術、それも考え抜かれた技なのでしょうね。この若者の紡いだ音の芸術を凌駕するのは、どんな大家をしても容易ではないような印象を受けたのは私だけでしょうか....。
指の動きはスポーツ感覚からすれば20-30代が最も速く動くのでしょうが、そこに様々な要素が加わってピアニストは成熟するのでしょう。ある音楽評論家がホロヴィッツを「聞かせ上手」と評していましたが、上手く聞かせる、言葉を変えれば「聴衆を満足させる演奏が出来る」というのは最大級の褒め言葉とも受け取れます。この夜のリサイタルは、十二分に聴衆を満足させる演奏だった、と私は思いました。
シューマンといえば「トロイメライ」で日本人にはお馴染みの作曲家です。クラシック音楽をあまり聞かない方は他にどんな曲があるのか知らないかもしれませんし、あえて聞こうとしないかもしれません。私がシューマンのトロイメライ以外の曲を最初に聞いたのは10代半ばの時で、ホロヴィッツの弾いたクライスレリアーナでした。音楽評論家から絶賛されていましたから、たまたま聞いてみたという状況だったように思います。
音楽は感覚的に自分に合っているかどうか直ぐに分かるという側面がありますね。クライスレリアーナは私の感性にフィットする曲でした。そうした経緯もあって、シューマンのピアノ曲はいろいろなピアニストの様々な演奏を聞きました...多くはCDですが...。総ての曲とはいいませんが、favorite piecesを聴いていると「解き放たれる」とでもいいたいような、ある種の爽快な感覚がするのですね。
例えば謝肉祭についていえば、コンサートでもCDでも、どなたの演奏を聴いても不満が大きいということは少なかったように思います...ショパンのワルツやノクターンのように曲自体が上手く作られているのでしょうね...美しいメロディーラインあり、劇的表現あり、と聴衆にもピアニストにも魅力たっぷりの曲に思えます。
ところが、クライスレリアーナについては、なかなか満足することがありません。いつかのコンサートでは大変失望して帰宅した記憶があります...ピアニストへの期待が大きかった反動もあるのでしょうが...。ホロヴィッツの演奏が傑出しているということかもしれませんし、あるいは「感覚が鋭敏な時代に聞いたクライスレリアーナ」という不動のメモリーがあって、自然とそれと比較してしまうためなのかもしれません。いつか私の脳の深層に刻まれたメモリーを消し去るような名演に出合えることを期待しているのですが...。
ピアニストにも18番はあるのでしょうか?
先日ユンディ・リのピアノリサイタルに出かけてきました。プログラムはベートーベン(月光・熱情)、ショパン(ノクターン第1・第2)、シューマン(幻想曲)でした。実演を聴くのは2回目です。足取り、挨拶、演奏時の姿勢などは非の打ちどころがありません。また音の美しさは際立っているように思いますし、ダイナミズムも申し分ありません。
以前のリサイタルでも感じたことですが(先回は謝肉祭を聴きました)、このピアニストにはシューマンの曲が合っているような印象を今回も受けました。もちろんショパンも素晴らしいのですが、今回は少なめのプログラムです...。最後のファンタジーを聴いて、そのあとにアンコール。中国の曲が2曲とベートーベンと...3曲も弾いてくれたし、まずまずかなー...(内心何となく満たされない)。
アンコールの最後(4曲目!)に弾いたリスト作曲のタランテラが今回の公演のハイライトのように思えました。ユンディ・リの長所である音の美しさ、ダイナミズム、リリシズムなどが総て表現された快演で、終わった瞬間に何人もの聴衆がスタンディング・オベーションで感動を伝えました。この曲は現在の彼の、いってみれば18番(の一つ)なのでしょうね。この1曲で今回のリサイタルは満足...不遜な私はそんな印象を持って帰宅しました。
「ショパンコンクール優勝」というのは大変な重責を負わされるのでしょうね。レパートリーを増やさないといけないでしょうし、毎回のリサイタルが注目されるでしょうから一時たりとも気を抜けないでしょうし...。そういう責務に耐えられる、というファクターも選考過程では考慮されるのでしょうか...。栄冠を勝ち取って以来、一層の努力を重ねているのでしょう。一回りも二回りも大きくなったユンディ・リを再度聞きたいものです。
開演前の会場の様子
(2014年11月1日)
ショパンはレコードの時代から繰り返し繰り返し聞いてきました。ワルツ、マズルカ、ノクターン、ポロネーズ、スケルツォ、バラード、前奏曲、練習曲、ソナタ...。リパッティ、ルービンシュタイン、フランソワ、ホロビッツ、アルゲリッチ...。
5年に一度開催されるショパン国際ピアノコンクールの第17回入賞者ガラ・コンサートに行ってきました。チョ・ソンジン、シャルル・リシャール=アムラン、ケイト・リウ、エリック・ルー、イーケ・ヤン、ドミトリー・シシキンの6人が熱演しましたが、チョ・ソンジンとシャルル・リシャール=アムランが抜きんでているように思われました。
まったくタイプの異なる二人ですが、その演奏は聴きごたえのあるものでした。チョ・ソンジンはノクターン・幻想曲・ポロネーズを一糸乱れぬテクニックで鮮やかに弾ききり、どんな曲でも高水準の演奏を披露してくれそうな印象を持ちました。一方、シャルル・リシャール=アムランはソナタ第3番を個性的・抒情的に演奏し、聞き手を自分の世界へ引き込んでいたように思います。
テレビの特番で、コンペに使うピアノ選定の裏側が紹介されました。チョ・ソンジンはスタインウエイ、シャルル・リシャール=アムランはヤマハでしたね。今回の会場のピアノはスタインウエイでした。同じピアノを使って演奏するとどのような音が奏でられるのか、という別の側面も聞くことができてとても興味深い経験でした。きっと、現時点では、どこの会場で聞いても同じ感想を持つのではないかと思います...。
6名ともまだまだ発展途上の若手です。コンクールですから順位は付くのでしょうが、それは2015年のある一時点でのものであって、今後10年・20年でどのように成長するかが本当の勝負なのでしょう。可能性を秘めた個性の競演を堪能すると同時に、今後の精進と大成を期待せずにはいられませんでした。
2015年の第9回浜松国際ピアノコンクールを弱冠20歳で制覇したアレクサンデル・ガジェヴのリサイタルを聞きに行ってまいりました。仕事の関係で時間的に厳しい状況でしたが、行って本当に良かった、というのがリサイタル後の感想です。それと同時に「浜松国際ピアノコンクール」のレベルの高さを実感し、日本でそういうコンクールが開催されていることを日本人として誇らしく思えた、と心底思いました。
演奏曲目は、ベートーベン:ピアノソナタ第31番、ショパン:ピアノソナタ第2番、バッハ/ブゾーニ:シャコンヌ、ラフマニノフ:絵画的練習曲「音の絵」作品39-2,5、リスト:ピアノソナタ ロ短調、という盛りだくさんです。通常のリサイタルの1.5倍くらいの内容でしょうか。アンコールを3曲弾いてくれましたが、午後7時開演で、終演は9時を少し回っていました。
大曲・難曲を並べたプログラムですから若いとはいえ疲労するのでしょうが、アンコール曲の最後(プロコフィエフ戦争ソナタ第3楽章)まで集中力の切れない爽快な演奏でした。リストのピアノソナタを演奏する前に、一度舞台裏に戻って上着を脱いで登場しました。今まで見たことのない情景でしたが、暑かったというより、リストの大曲を演奏するには上着が邪魔になるのかな、と思いました。
メロディーを聞かせる曲にも、打鍵・リズム・技巧を強調する曲にも、難なく対応できる技量と資質を備えていますから、リストやプロコフィエフの超絶技巧を見せ場にする曲も素晴らしかったのですが、私はパンフレットでも強調されておりました「葬送行進曲」の演奏に心を打たれました。それと、素早い指の動きで強音が連続するパッセージにおいても音楽になっていることに驚きました。ともすればアクロバチックな指の動きだけを追っている事もあるのですが、そこに音楽を感じさせてくれる演奏はそうはないように思います。
アレクサンデル・ガジェヴのリサイタルはリーゾナブルかつ上質な演奏でしたが、会場に子供たちや若者の姿が少なかったのがとても残念でした。最近休日の午前中から主に若手演奏家のリサイタルを多数開催するイベントがありますね。そこには音楽の質はともかく、子供たちが家族連れで大勢入場しておりましたが...。子供の感性は鋭敏です。小さい時から良いものに触れることによってどんどん磨かれると思います。できるだけ上質の音楽に触れてもらいたいと願うの私だけではないでしょう。
第10回浜松国際ピアノコンクールの優勝者、ジャン・チャクムルのピアノ・リサイタルに行ってまいりました。久しぶりに爽快な演奏を聴いて、とてもリフレッシュできました。最近仕事が忙しくて疲労もピークに達している中、何だか救われたような気が致しました。
演奏曲目はショパン:ワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」、メンデルスゾーン:幻想曲「スコットランド・ソナタ」、バッハ:イギリス組曲第6番、シューベルト:ピアノ・ソナタ第7番、ショパン:24の前奏曲から第6番・7番・8番・15番・23番・24番、バルトーク:野外にて、と多彩なものでした。
出だしは音の深みが足りないような感じを受け、長身・細身で体力的な問題が懸念されましたが、演奏が進むにつれて、それが杞憂であることが分かりました。ピアノは十分に鳴っておりましたし、特に高音域の弱音が心に沁みこむように綺麗に聞こえました。私が特に印象に残ったのは、曲(作曲者)の個性を際立たせる頭脳と技が備わっているということでしょうか。プログラムに記載された「類稀な音楽センス」ということでしょう。
バッハの曲では音が重なり合って洪水のように押し寄せ、対位法が300年経過した現在においても圧倒的な存在感を持っていることを教えてくれました。その後に聞いたシューベルトでは、一転して澄み切った音がよどみなく流れ、瞑想的でさえありました。技術力の高さはメ
ンデルスゾーンやバルトークの曲での高速で激しい打鍵により遺憾なく発揮されましたし、ショパンの前奏曲における爽やかで抒情的な演奏も見事でした。
近年、私の中では「もう一度聞いてみたい演奏家」が少なくなっているような印象ですが、ジャン・チャクムルの演奏は数年後にもう一度是非聞いてみたい、との思いで会場を後にしました。