三渓園

横浜の国指定名勝「三渓園」は原 富太郎(三渓)(1868~1939)が造り上げた日本庭園です。パンフレットには「広さ約53,000坪(東京ドーム4個分)で、一般に公開された外苑と三渓が私庭とした内苑からなり、京都や鎌倉などから集められた17棟の歴史的建造物と四季折々の自然とが調和した景観が見どころ」と記載されております。建造物は重要文化財が10棟、横浜市指定有形文化財が3棟あり、見方によっては野外美術館といってもよいような構成です。

 

原三渓は益田 孝(鈍翁)(1848~1938)と並んで明治から昭和の初めにかけて日本を代表する実業家であり数寄者でした。二人が所蔵していた美術品は国宝クラスが50点以上、重要文化財クラスが100点以上と推測されています。太平洋戦争中にアメリカが日本の文化財を破壊から守るため、横浜の三渓邸と小田原の鈍翁邸には重要印が付けられていたようです。

 

梅の花が咲く季節に三渓園を訪問いたしました。正門(写真1)を入ると大池があり、鯉が群れ、鴨が悠々と泳いでおりました。道なりに進むと御門があり、そこから内苑に入ります。有名な3棟が連なった重要文化財の臨春閣(写真2,3)は紀州徳川家の書院造り別荘を移築したものです。庭内のあちこちに伽藍石、石燈籠、手水鉢などが配置されており、草木や花も豊富で小川も流れており、私邸とは思えない造りです。

 

 内苑には他に秀吉が京都大徳寺に建てさせた旧天瑞寺寿塔覆堂(4)、修復を終えたばかりの月華殿(5)、天授院・聴秋閣・春草盧の重要文化財があり、外苑には旧燈明寺三重塔(7)を含め4棟の重要文化財があります。三渓は自分が構想したお茶室の蓮華院(写真6)で、50歳を超えて初めて初茶会を開きました。この時の正客は鈍翁、次客は高橋箒庵でした。蓮華院には宇治平等院鳳凰堂の古材が遣われているようです。

 

原 富太郎(三渓)と長男の善一郎が美術界に残した功績は、「美術話題史」に詳述されております。それに関連して三渓園には目が眩むような日本画・洋画の巨匠達や教育者・学者、さらに外国からの賓客が訪問していたのですね.....お人柄が偲ばれます。

 

現在の三渓園は公益財団法人「三渓園保勝会」が管理運営を行っております。私はガイドさんに案内して頂きましたが、ガイドさんは無償のボランティアの方でした。老婆心ながら、この大きな史跡を管理運営するのは並大抵の苦労ではないと感じ、一訪問者として感謝申し上げたい気持ちになりました。

 

https://www.sankeien.or.jp