金沢市立中村記念美術館

中村酒造株式会社の社長であった中村栄俊(1908~1978)が茶道具を中心に収集した美術工芸品を提供して財団法人中村記念館を設立、私邸を本多公園内に移築改装して1966年に美術館を開館致します。それを1975年金沢市へ寄贈され、1989年に新館へ移転(写真)、旧館は旧中村邸(写真)として貸施設になりました。

 

加賀百万石の城下町にある美術館です。金沢の伝統工芸や金沢旧家伝来の茶道具を中心に重要文化財5点を含む1200点を超える収蔵品があり、旧中村邸にあった茶室「梅庵」「耕雲庵」も現地に移築されております。一帯は兼六園や幾つかの美術館がある一大観光センターのようですね。

 

館内は写真撮影OKで、初代大樋長左衛門のお茶碗や乾山、青木木米の陶器が陳列されておりました(写真)。パンフレットには夢窓疎石の墨蹟や青井戸茶碗「雲井」が掲載されておりますが、当日は陳列されておりませんでした(残念!)。

 

 金沢では武家屋敷(写真)を見学致しました。加賀八家の筆頭は5万石の本多家です。中村記念美術館がある本多公園は、本多家の上屋敷跡の一部のようですね。前田家の家臣団を説明する掲示には武士階級の役割が簡潔に分かりやすく図解されており勉強になりました(写真)。武家屋敷一帯をボランティアのガイドさんに案内して頂きましたが、懇切丁寧に街並みを説明してくださり理解が深まりました。

 

加賀百万石前田家は前田利家(1539~1599)から始まります。利家は豊臣秀吉から最も重く待遇された武将であり、利休や弟子の織田有楽に茶道を学び、1587年「北野大茶会」では秀吉の右座に座りました。1597年秀吉は利家に大名物 茄子茶入「富士」を下賜し、台子茶の湯を認可致します。利家は能書家で和歌にも通じ、金春流の能の名手で小唄も巧みにうたいました。利家の長男である二代利長(1562~1614, 初代加賀藩主)は律儀・守成の人であり、利休や弟子の高山右近に茶の湯の指導を仰ぎました。

 

 三代利常(1594~1658)は利家側室の子で、藩財政を安定化し種々の文化施策を実施致します。小堀遠州(1579~1647)とは昵懇の間柄で、収集した道具のほとんどに遠州が箱書をしています。裏千家四代仙叟宗室(1622~1697)を召し抱え、本阿弥光悦にも財政的援助をしています。また京都や江戸から名工を呼び寄せて御細工所の指導に当たらせ、加賀美術工芸の基礎を築きました。

 

五代綱紀(1643~1724)は四代光高(1616~1645)の長男で、その時代に仙叟宗室は1666年金沢に下るときに楽家四代一入に師事していた土師長左衛門(1631~1712)を同伴し、金沢城下に窯を開いて楽焼を始めます(大樋焼)。綱紀は細工人の技術錬磨を督励して城下に優れた工芸技術が展開し、また「百工比照」の工芸コレクションを整えました。更に日本・中国・朝鮮・欧州の文書・典籍等の収集と編纂を行い、それらの資料は「尊経閣文庫」として伝世しております。

 

 加賀文化は以上のように約100年の年月をかけて作り上げられたものなのですね。前田家をはじめとする武家のほか、薬・呉服・米・海運などの商家も茶道文化の担い手であり、お道具収集に関与しております。また金沢は戦争の災害から免れましたので、地方に類をみない茶道具の宝庫になっているようですね。

 

ひがし茶屋街も見学致しました。お茶屋の「志摩」(写真)は国指定重要文化財なのですね。当日は外国人観光客が大勢見物においでで、日本人よりも多い位でした。写真の説明書きにもありますように、ここにも茶の湯文化がシッカリ根付いていることが分かります。別棟の寒村庵で金沢銘菓の生菓子とお抹茶を頂き(写真)、良い休憩がとれました。

 

https://WWW.kanazawa-museum.jp/nakamura/

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