「青磁」を勉強する

中国・朝鮮・日本の青磁

「青磁」は酸化第二鉄を含有する植物灰を主成分とする青磁釉を器体に施し、1200度以上で還元焼成(酸素不足の不完全燃焼)することにより酸化第二鉄を酸化第一鉄へ変化させ、素地の土の色を透かして青~緑にみえる焼き物です。酸化焼成すると白色~茶色に変化するのですね。貫入は焼成時の土と釉薬との収縮率の差によってできるヒビで、装飾効果をもらたしています。

 

「青白磁」は精製されて不純物が少ない白色の磁土を用い、透明釉の中の微量の鉄分が還元焼成されて青味を帯びた白磁の一種です。一方、「青瓷」という言葉は、現代作家が青磁を作るときに”中国宋代官窯の主に陶土を素材にした青磁に倣って作成している”ことを示しているようです。

 

青磁の起源は浙江(せっこう)省の越州窯を中心に漢時代(前206~8、25~220)に作成された朽葉色で渋い色調の古越磁(こえつじ)(古越州の青磁)とされています (図1)。その後、唐(618~907)前半までは白磁の陰に隠れてしまいますが、晩唐には青い釉色の「秘色」と呼ばれる最高級の青磁が越州窯で作成されました (図)。そして北宋(960~1127)~南宋(1127~1279)に至って青磁の黄金期を迎えることになります。

 

北宋時代には、陜西(せんせい)省の耀州(ようしゅう)窯(かつて汝窯と呼称)でオリーブグリーンに刻花紋・印花紋が施された青磁(いわゆる北方青磁)が生産されました (図2)。日本をはじめ欧米にも遺品はかなり多く存在します。一方、北宋宮廷の器を焼いた河南省汝官窯の青磁は淡い水色で紋様がなく、中国陶磁の至宝とされ世界で100点もないようです (図3)。

 

南宋時代には、浙江省の南宋官窯で鉄分が多く黒ずんだ胎土に青磁釉が厚くかけられた青磁が焼成されました (図4)。北宋の汝官窯とともに中国陶磁の至宝とされています。また同じ浙江省の龍泉窯では青緑色のいわゆる砧(きぬた)青磁が作られました (図5)。遺品は大変多いそうですが、名品は日本に多く存在するのですね。

 

茶陶で有名な珠光青磁は南宋時代に浙江省の南隣の福建省 (同安窯・泉州窯) で焼かれたもので、生産量も多かったようです (図6)。

 

元(1279~1368)~明(1368~1644)の初期には、龍泉窯の青磁は暗黄緑色のいわゆる天龍寺青磁に変化し、明の中頃には葱青色のいわゆる七官青磁に移行しました。また元時代には鉄斑文を散らした、いわゆる飛青磁の装飾が生み出されています (図)。一般には時代が下るにつれて徐々に質が低下して宋時代の格調の高さは失われ、さらに景徳鎮窯の隆盛もあり、明中期に龍泉窯は衰退しました。

 

清(1644~1912)の初期には、景徳鎮の官窯で青磁の名器の模倣製作が行われています。

高麗青磁の起源は中国越州窯とされています。その後、宋との交流が進み、その影響を受けつつ高麗青磁独自の形・色・意匠が確立し、12世紀の前半に翡色青磁という釉色、後半には象嵌青磁という装飾技法が完成します。

日本では江戸時代に入って肥前・有田、鍋島、三田、京都などで青磁が生産されていました。中でも三田青磁は最も美しいといわれています。明治以降には諏訪蘇山、板谷波山、小森忍、濱田庄司、河井寛次郎、石黒宗麿などが青磁を制作しました。そして岡部嶺男、清水卯一、三浦小平治により日本独自の青磁が生まれ、現代では多数の作家が青磁に取り組んでいます。

参考図書

小山富士夫 著「陶磁体系36 青磁」株式会社平凡社 昭和53年4月26日初版第一刷発行

大阪市立東洋陶磁美術館 編「高麗青磁への誘い」 1992年10月10日発行

今井 敦 編「中国の陶磁4 青磁」株式会社平凡社 1997年4月9日初版第一刷発行

今井 敦 著「日本の美術 第410号 宋・元の青磁・白磁と古瀬戸」

                        至文堂 2000年7月15日発行

炎芸術「艶なる青磁」 阿部出版株式会社 2007年8月1日発行 

NHK 美の壺 制作班 編「青磁」NHK出版 2008年6月30日第1刷発行