本阿弥光悦の抹茶碗

東京国立博物館で開催されている「本阿弥光悦の大宇宙」へ行ってまいりました。本阿弥光悦(1558~1637)は織田信長(1534~1582)、豊臣秀吉(1537~1598)、徳川家康(1542~1616)が勇躍した桃山から江戸初期の傑出した芸術家ですね。コロナ禍があけて本当に久しぶりのトーハク入場でした。

 

本阿弥光悦のまとまった作品を鑑賞するのは初めてです。第1章 本阿弥家の家職と法華信仰-光悦芸術の源泉、第2章 謡本と光悦蒔絵ー炸裂する言葉とかたち、第3章 光悦の筆線と字姿ー二次元空間の妙技、第4章 光悦茶碗-土の刀剣、の4部構成でした。国宝6点、重要文化財20点、重要美術品7点が含まれおり、見ごたえのある展示会でした。

 

今まで国宝の日本刀は何本か見ておりましたが、実はあまり興味が湧かず記憶にもほとんど残っておりません。今回「本阿弥家」という切り口から刀剣の展示を拝見すると意外に面白いのですね....本当に不思議でした。

 

 俵屋宗達(生没年不詳)下絵、本阿弥光悦筆の「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」には二人の芸術家の技が遺憾なく発揮され、かつ見事に調和していて惹きつけられるました。気品に満ちて、爽やかで、魂が慰められ浄められます。人波に流されながらそんな思いが湧き、また最初に戻って流麗な墨の線を無心に追い、再度列の初めに戻って鶴の群れの姿・形、動・静、その背景、総てに惹きつけられ...。

 

さて抹茶碗ですが、今回は光悦(1558~1637)11碗(黒楽3碗、赤楽5碗、白樂2碗、飴釉1碗)、長次郎(~1589)と道入(1599~1656)は各2碗(黒楽と赤楽が各1碗)展示されておりました。三者の楽茶碗を比較することにより、光悦の特質が浮かび上がるような企画のようです。

 

光悦は釉薬や土を楽家から譲り受けたり、お茶碗も黒楽は楽家で焼いてもらったことが成書に記載されております。光悦と道入との親交は深かったようです。道入は長次郎茶碗に種々の工夫を加えて革新し、楽家歴代一の名工と評価されておりますが、そこには光悦の影響があったようです。

 

 一方、光悦茶碗は造形、釉調ともに際立って斬新です。どのお茶碗をみても色彩の豊かさはどうでしょう!気品があってほれぼれします。小堀遠州が品川林中のお茶屋に将軍家光を迎えて献茶された際に、その控えの茶碗として用いられたのが光悦に依頼して作製された膳所光悦茶碗でした。当時の光悦の茶道界における評価が伺えるエピソードでしょう。

 

ケース越しの観察ですから胴から腰、口造り、見込みが見て取れました。「厚薄」の形容が良く分かります。沓形ほどには歪んでおりません。時雨や雨雲にしても外表の多彩な色調に比べ、お茶の入る辺りは釉薬がきちんと掛けられていて、綺麗でカセていないように見えました。ショップによって図録をみますと高台が総て掲載されております。編集者のお考えが十分伝わりますね。

 

あれあれ、光悦展をみるだけで3時間が経過致しました。他に沢山の展示があるけれど、そろそろタイムアップのようです。この図録は重いけれど手元に置かないといけないわ。それと絵ハガキを記念に購入致しましょう。

仁阿弥道八の利休七種写茶碗

京焼の名工仁阿弥道八の展示会(「天才陶工 仁阿弥道八」サントリー美術館) に行き、沢山の作品を見てきました(2014/12/28)。青磁象嵌、黄伊羅保、祥瑞、楽焼、色絵や銹絵の鉢・皿・急須、人物や動物を彫塑的に仕上げた色絵作品、等々多岐にわたる焼物が出品されていました。それら総てが見事な出来栄えで、とても驚き感心しました。

 

楽焼の中で興味深かったのは「利休七種写茶碗」でした。原本は長次郎(+α)が作った茶碗のうち、千利休の思想にかなったものとして特に選ばれたもののようです。しかし現存するものは3碗しかなく、楽家6代左入の「写し」が存在し、それを道八が写したものということです。楽家には7代長入の写しがありますね。ノンコウの時代から写しが作られているということですから、他にもあるのかもしれません。道八の写しも7碗揃っているのですから貴重なものですよね。

 

 焼失したか所在不明な「鉢開」「木守」「臨済」「検校」は知りようもありません。現存する「大黒」「東陽坊」「早舩」の画像や、他の長次郎茶碗から類推すると、左入の写しは形の写しであって、釉薬等までは写していないように思われます。道八が左入の作を相当正確に写したという仮定での話ですが...。従って今回の展示作品は道八が写した「左入の七種」ということでしょうね。私が魅かれたのは色がきれいで見事な貫入が入っている4種類の赤楽茶碗でした。艶やかな黒楽のほうは静かな佇まい、一方赤楽は華やいだ雰囲気...茶席にも両方の要素が必要と左入は考えたのでしょうか...。

 

「写し」は物真似のように思われがちです。しかし、よくよく考えてみると原本が一流であればあるほど、優れた観察眼と高度な技術がなければ人前に出せるものなど到底できるわけがありません。ましてや楽家以外の人間ですから、写しを作るのは並大抵のことではなかったはずです。展示会のタイトル「天才陶工」とは良く付けたものだと思いました。

 

楽茶碗では他に「蝶文黒茶碗」の繊細な蝶、道入の作風にならった「冨岳文黒茶碗」が目を引きました。また野々村仁清の作風を取り入れた「色絵筋文入子茶碗」なども印象に残りました。19世紀という幕末の京都は、きっと華やかで明るい雰囲気の町だったのでしょうね...などと京焼の秀でた陶工が残した作品群を見ながら思いを巡らせました。

「三井家伝世の至宝」から

2015年12月のとある週末に三井文庫開設50周年・三井記念美術館開館10周年記念特別展へ行ってきました(2015/12/20)。茶碗や絵画・書跡など私の興味あるものが展示されますので、この美術館に足を運ぶ機会がついつい多くなります。既に何回か拝見したものもありましたが、今回は他の美術館所蔵の貴重なものも出展されていました。

 

楽茶碗では長次郎「俊寛」「菖蒲」、道入「鵺」、光悦「時雨」「雨雲」の展示がありました。「俊寛」、いいですね。艶消しの黒釉、長次郎のうちでは艶やかでしょうか、しっとりした落ち着きのある魅力的な色です。一方、見込はベージュです。こちらも綺麗な色調です。胴をしめて変化を出していますね、控えめな意匠性を感じさせます。薄すぎず厚すぎず、どっしりとした風格ある姿で、ほれぼれしました。こうした思い、以前には感じなかったのですが...、は周りに展示されている碗との比較で起こってくるものなのですね...。

 

道入「鵺」も素晴らしい。腰から胴は幾分丸みをつけた大変素直な形状です。見込には少し起伏をつけていますね。薄作、大ぶりなのでたっぷりお茶が入りそうです。名の由来からして黒い模様に注意が行きがちです...私も以前拝見した時はそうでした。ところがよくよく見ると”複雑な赤色の色調”という記述がある通り、魅力たっぷりの気品ある釉色なのですね...感銘。

 

 光悦「雨雲」(三井記念美術館所蔵)は2回目の鑑賞となりました。隣に「時雨」(名古屋市博物館蔵、北三井家旧蔵)があると、この2碗は同じ意図で作成されたものであることが一目瞭然です。口縁の切り方、釉景色、腰から胴・口部に至る独特の形状、などあまりにも類似しており、まるで双子のように感じます。「村雲」も写真から推測すると同じ仲間なのですね。とても勉強になりました。

 

今回は他に仁清「色絵鱗波文茶碗」、国宝 油滴天目、国宝「卯花墻」、釘伊羅保茶碗「秋の山」、錐呉器茶碗「山井」などが披露されました。唐物、高麗物、和物の茶碗の一級品を並べて鑑賞すると、各々の素晴らしさが良く分かります。天目茶碗は均整のとれた形状と類稀な釉景色で、見て楽しむ美術品のように感じます。一方、高麗茶碗や和物茶碗は、これで実際にお茶をいただきたくなります...さぞや美味しいのでしょうね...。

 

今回の展示を拝見して"楽茶碗の立ち位置"が確認でき、おぼろげながら利休禅師の思いの一端に触れられたような感じが致しました。

「茶碗の中の宇宙 楽家一子相伝の芸術」

東京国立近代美術館(2017年3月14日~5月21日)で楽家歴代の作品をいっぱい見てきましたよー。大変楽しみにしていましたから、鑑賞にも熱が入りました。十五代(当代)吉左衞門作が圧倒的に多かったのですが、次代惣吉さんのものもありましたし、初代長次郎が13碗、田中宗慶が2碗、二代常慶4碗、三代道入が9碗、本阿弥光悦が6碗と充実しており、四代から十四代は1碗~7碗の展示でした。

 

普段なかなかお目にかかれない長次郎、道入、光悦の茶碗を、これだけまとまって鑑賞できる展示会はめったにないと思います。虚飾を排した長次郎、楽家歴代一の名工と誉れが高い道入、稀代の芸術家の光悦、見ごたえがありました。展示された作品は選ばれるだけの理由があるのでしょう...その点ではバイアスがないとはいえないかもしれません...。

 

創始者長次郎の作品から出発して、これを自分独自の世界へ発展させるという時に、道入と光悦は大きな分岐点になる存在のように思われます。道入流にするか、光悦流にするか、勿論長次郎への回帰もあるでしょうが...。道入の茶碗は色々新しい工夫が加えられていますが、お茶を実際に点てて飲むための器である、という基本姿勢が守られているように思われます。一方、光悦の方は感性の赴くままに作陶したように思われ、飲みやすさなどは意に介

さなかった可能性も推測されます...(間違っていたらごめんなさい)。

 

見て触って楽しむ、飾って楽しむ、実用品として使用する、色々な観点からの見方があると思います。楽歴代の作品はどれも工夫を凝らした大変すばらしいものですが、実際にお茶を点てて飲むというという庶民派の立場からみた私の印象は、「道入最高!」でした。光悦が認めた道入ですから、技も頭脳も人間性も卓越した人だったのでしょうね...作品を見ていてそんな気が致しました。