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萩焼の里へ
2012年4月下旬に萩の町を訪れました。交通の便が良いとは言えない遠方の地へ、新幹線とバスを乗り継いでの長旅です。萩には観光名所が幾つもありますが、旅の主たる目的は萩焼の窯元を訪問して気に入ったお茶碗を手に入れる事でした。萩焼のことはほとんど何も知らない状況でしたが、「一楽、二萩、三唐津」の諺がありますので、良い抹茶碗に巡り合えるに違いないとの思いがありました。
ネットで調べた個人ツアーに申し込んで、萩に到着後は車で萩の町中と長門にある数件の窯元を訪れました。主は何れも高名な陶芸家のようです...。ビギナーの私にとっては、総てが「お勉強」です。
最初の窯元では先生が不在のため、直接お話を伺うことが出来ませんでした。作品は奇をてらうことがない至ってシンプルな印象を受けました。少々予算オーバーなこともあり早々にお暇しましたが、作家先生が作品を説明して下さったり、巡る順番が違っていたら購入もありだったかもしれません。
次の窯元ではスタンダードなものから意欲的な作品まで陳列されておりました。お土産に良さそうな湯呑がありましたから、早速購入致しました。抹茶碗は今一つピンときません。そうこうするうちに、先生が一時お店に戻られて奥から色々なお茶碗を出して下さいました。お抹茶をいただきながら、「次の窯元でも気に入ったものがないと...」という思いも浮かび、一碗を求めることに致しました。
最後の窯元では、お菓子・お抹茶付きで主と歓談する機会に恵まれました。気さくなお人柄の先生で、お酒好きなところは私と一緒でした。お店の雰囲気が良く、陳列されている作品も魅力的に思えました。先生が「展示会に出そうと思っていた」といって作業場から持ってこられたお茶碗が気に入り、求めることに致しました。「出会い」ですね...。
私と萩茶碗との最初の出会いの旅でした。萩の町中はあまり見物できませんでしたが、またの機会があることでしょう。夏みかんの干菓子が妙に印象に残っています...。
萩焼湯呑茶碗 (波多野 善蔵)
白い釉薬の中に魅力的な緋色の円相(一種の土見せでしょうか...)が表と裏に浮かび、胴回りには数本の轆轤目が回されています。気品があり、煎茶もきれいに見えて、普段使いの湯飲みとしては申し分ありません。
萩焼には人間国宝の三輪休和先生、三輪壽雪先生をはじめ多数の作家がおられます。三輪先生の作品は大変高価ですし、他の先生の作品も比較的高価なものが多いような...。あの有名な白い鬼萩を実際に手に取ってゆっくりと見てみたい...出来ればそれでお茶をいただければ...県外からの観光客の中には私と同じような願望をお持ちの方もおいででしょう。客寄せパンダではありませんが、観光客へのサービスの一環として一考頂けるとうれしいのですが...。
豊臣秀吉の文禄・慶長の役により、多数の朝鮮人陶工が日本に渡って来て陶磁器製作にかかわったことはご存じの通りです。萩焼は慶長9年(1604)、毛利輝元の命により朝鮮人陶工の李勺光・李敬兄弟が萩城下で御用窯を築いたのが始まりとされています。李勺光の直系の窯は途絶えたようですが、李敬に始まる窯は現在も坂高麗左衛門窯として存続しています。また三輪窯も坂窯と同様に、朝鮮人陶工の子孫忠兵衛利定が1663年に毛利藩の御雇焼物師に召し抱えられて初代三輪休雪となって以来受け継がれている窯元です。
こうした歴史は楽焼でも唐津焼でも類似しています。当然のことですが、土、釉薬、窯が違えば、陶磁器も違ったものになるでしょう。大道土と見島土を混ぜた陶土、藁灰を主とした白釉と土灰による透明な枇杷色釉薬、登り窯などが萩焼のキーワードでしょうか。しかし、萩焼の窯元を何軒か回りましたが、同じ「萩」といっても色々な色調や形があって奥深い感じが致しました。
改めて本を取り寄せて調べてみますと、多数の窯元で(不勉強で殆ど知りませんでした)、大家・中堅・次代を担う若手が各々工夫を凝らして切磋琢磨している現況が伺えました。萩焼の隆盛には茶道との関連が指摘されています。歴代毛利藩主は茶の湯の愛好家で城下の富裕層にも茶の湯に親しむ気風があった、明治維新後に表千家をはじめとする茶道家元が茶道普及に貢献した、花江茶亭での茶会存続など、小さな町に本格的な茶道が色濃く充満している要因に挙げられています。また人間国宝の誕生も大きかったようです。
萩には人を引き寄せる伝統、焼物そのものの魅力、リーダーの存在、町の魅力、色々あるのでしょうね。「萩」に宿るパワーとその明るい未来が予見されるように感じました。
外箱 黒塗
内箱 蓋表「萩茶碗 白 十一代 休雪(壽雪)」
(口径13.4~13.6cm・高さ9.5cm・高台径6.5cm・重量509g)
有名な休雪白は藁灰に長石と木灰を加え高温で焼成する、特に高台の削りが大事である、荒削りのほうが好みである、と壽雪先生自身が雑誌のインタビューで述べておられます。長い下積み生活後、対外出品活動開始は45歳、十一代休雪襲名は57歳で、遅咲きと言えます。壽雪先生は温和無口、非社交性ということですが、作品がこれだけ雄弁に語ってくれれば言葉による説明など不要かもしれませんね。
大振りな茶碗で厚手ですが、持った時にそう重く感じません。胴回りにくびれが入れてあり、持ちやすい形状なのがその要因の一つだと思います。口縁にはわずかな起伏がつけられています。休雪白には全体に細かい貫入が走り、綺麗な器肌を見せています。一方、この高台、....大変驚かされました.....作者の魂が宿っている....。畳付けを指で撫でると切れるのではないかというほどの鋭いエッジ、荒々しい地肌...、「荒削りのほうが好み」との思いがヒシヒシと伝わってきます。
実際にお茶を点てる際の使い勝手は悪くありません。口造りの釉薬が滑らかで、かつ厚手なので、薄作りの茶碗でお茶を頂くときとは唇に伝わる感じが違います。何よりも、白地のバックに抹茶の緑が鮮烈に映るのです。またご覧の通り、とってもモダーンですよー。“造形に重きを置いて、用にとらわれない”という批評を見かけましたが、一面的な見方のように思いました。
なかなかお目にかからないような、上等な仕立ての共箱に入れられて我が家にお輿入れ...箱書も味のある個性的な書体ですね...。「茶碗を手に取り見ることによって“よしやろう“という気持ちが湧いてくるような作品でないといかん」という作者の言葉をまさに具現している茶碗だと感じます。
「現代陶芸の頂点に立つ三輪壽雪」という本の記述を見つけて、ある時期には恐らくそうだったのでしょう、との思いがこの茶碗を手にして湧きました。
共箱 箱書「萩茶碗 十一代 休雪」
(口径12.2cm・高さ8.5cm・高台径6.1~6.3cm・重量418g)
上の白萩茶碗と比べて一回り小ぶりのお茶碗です。半筒形で、胴に二筋の轆轤目が回り、手取りが良いように細工されたのか、あるいは変化を持たせるためなのか、一部に指がしっくりと収まる削りが入れられているのですね。口縁は僅かに内に抱えられ、低い起伏がとても自然な感じに付けられて良いアクセントになっています。
一方、見込みには三筋の轆轤目が入っており、しかも胴の轆轤目とは軌跡が違っているので内外別々に入れたものであることが分かります。手の込んだ造作が成されているのですね。茶溜まりはやや深く、お茶が点てやすいように配慮されています。高台は総釉の竹節高台になっていて、畳付きの中央は僅かに削られて二重(ふたえ)にされ、極控えめな兜巾も見られます。
釉色は基本的には枇杷色ですが、部分的に窯変による橙(だいだい)色がみられます。白釉が口縁から二筋垂れているところもあります。高台以外の全面を貫入が覆い、このお茶碗の特徴になっていると思います。実際にお茶を点ててみますと、貫入が変色して器肌が汚いと感じることもなく、とても美味しくいただけました。これも大事な点ですね。
休雪先生は「休雪白」が超有名なのですが、このお茶碗は白釉では見えてこない先生の技巧・思考がひしひしと伝わってきて、私にとっては十一代休雪先生の人となりが感じられる印象的なお茶碗になりました。
共箱 蓋裏「萩茶碗 銘 苔衣(こけのころも) 左(花押)」 即中斎宗左筆
箱書「萩茶碗 坂田泥華造」
(口径14.2cm・高さ8.2cm・高台径5.3cm・重量353g)
十三代坂田泥華先生は「泥華井戸」で御高名です。20歳からの10年に及ぶ兵役から復帰した後、35歳で十三代泥華を襲名し、その後の20年を井戸茶碗研究に費やしたということです。Wikipediaには、泥華特有の轆轤造形、焼成時に釉薬を剥ぎ取る事により御本風の柔らかい斑文を表現した剥離釉、等の記述もありました。銘は「苔衣(こけのころも)」でしょうか...大和物語からの引用と推察いたします。
井戸型茶碗で、兜巾、轆轤目が綺麗に出ています。「現代の陶芸第十巻」を見ると、泥華先生の井戸茶碗の口造りは端反りが殆どのようです。肌はビワ色というより小豆色に近い色で、薄い斑紋が全面に現れて景色になっていますね。ザラザラした器肌は、「萩の陶芸家たち」に記載されているように砂混じりの粗土を叩いて作ったものでしょうか。薄作りで、これだけ深く轆轤目を出すには高度の技が必要なのでしょうね。また見込にしっかり釉薬がかかっているので、洗いが簡単で大変助かっております。
深い轆轤目とザラザラ肌で、持った時の手触りは今まで経験したことのない独特のものです。軽すぎず、しかし重すぎず、適度の重量であることも抹茶碗の大切な要素のように思われます。この茶碗から何か「芯の強さ」のようなものを感じるのは、泥華先生の経歴に触
れたからでしょうか...。焼物には作者の人柄が現れる場合が確かにある、と感じました。
品格は申し分ありません。銘「苔衣(こけのころも)」は、わび茶に通じる心を表したものでしょうか。私が普段使うお茶碗としては、色々な要素を総合して最上位にランクされるものです。
萩茶碗: 厚東建信 作
お茶の先生をしておりました祖母から頂いたお茶碗です。厚東先生の若い頃の作品と思われます。熊川形、切高台、総釉掛けで、釉景色がしゃれていますね。使い勝手が良いので、とても重宝しております。
共箱 箱書「萩 灰被り茶盌 十三代 田原陶兵衛 造」
(口径13.8cm・高さ7.4cm・高台径5.5cm・重量294g)
四代にわたって研究されているという灰被技法による作品です。淡い~濃い灰色、白、ベージュ、ピンク、枇杷色、黒っぽい模様....萩焼の中にも驚くほど多彩な色調のお茶碗があるのですね。「ピンク色のよく出たものが良い」というお話を伺った記憶があります。
外形、竹節高台、高台内の兜巾を見ると、轆轤目・カイラギ・ビワ色はありませんが、井戸形のような感じが致します。丁寧に、しかし形状は驚くほどシンプルに作られています。器肌の色彩がこれだけ変化に富むので、シンプルな形状の方がバランスが良いとの思いでしょうか。使いやすくて均整のとれた私好みのお茶碗です。
共箱 蓋表「萩茶碗 十二代 坂倉新兵衛 造」
(口径13.2cm・高さ5.8cm・高台径4.8cm・重量207g)
とても薄作りで、やや小ぶり、軽量のお茶碗です。ベージュ色、総釉で、全面に細かい貫入がびっしりと入っています。姫萩に分類されるのでしょうか。高台脇には大胆なヘラ削りを加え、見込には「鏡」風の茶溜まり、畳付には目跡がみられます。これほど細かい貫入は見たことがなく、萩焼の多彩な表現に驚かされました。
共箱 箱書 「萩茶碗 坂倉正治(十五代 坂倉新兵衛)」
(口径14.7cm・高さ7.5~7.8cm・高台径5.5cm・重量301g)
形は小井戸に近く、カイラギ・貫入がないこと以外は井戸の約束が守られています (使い込めば時貫が現れるかもしれませんが...)。大変薄作りで、手取りは軽やかです。また非常に整った素直な形で、胴には轆轤目がシッカリ見え、見込みの杉なりの削り込みは極限近くまで行われております。高度の技術がうかがえますね。
高台から胴下部には少し釉調に変化がみえます。見込みには雀斑のような小さい斑点が多数散っており、とても良い味わいになっています。斑点が大きいと、お茶を点てた時に思わぬ変化が表れて驚くことがありますが、そうならないぎりぎりの大きさなのですね。見込みの表情の美しさは「坂倉新兵衛窯」の伝統かもしれません。
使っていて飽きがこないので、普段お茶を点てるときには、ついつい使用頻度が多くなってしまいます。お茶を点てる、喫する、最後に洗って収納する、すべてのプロセスにおいて高得点を与えたいお茶碗です。
橋詰隆康 著「萩焼-やきものの町」株式会社三一書房 1973年9月15日
河野良輔 著「陶磁大系 全48巻 第14巻 萩 出雲」株式会社平凡社 1975年12月1日
林屋晴三 編「現代の陶芸第十巻」株式会社講談社 1975年12月25日
相賀徹夫 編著「探訪日本の陶芸5 萩 出雲ー山陰」株式会社小学館 1980年5月10日
吉岡暁蔵 著「李勺光 萩焼開窯秘話-佐々木源十郎「覚え書」より」株式会社里文出版
1997年9月1日
中島誠之助・中島由美監修「週刊やきものを楽しむ 萩焼」株式会社小学館 2003年7月22日
炎芸術No.87 巻頭特集 人間国宝三輪壽雪の造形 阿部出版株式会社 2006年8月1日
三輪休雪 監修「萩の陶芸家たち」新日本教育図書株式会社 2006年12月1日改訂版発行
炎芸術No.113 特集 萩・三輪窯の革新 阿部出版株式会社 2013年2月1日